わたしの居場所
ここにいるけど
居場所がないと人は言うね。なんだか座り心地が悪いというか、ふさわしい場所じゃないっていう感覚に陥るときに、そう思うことが多いよね。そう言う時は心ここにあらず。もっと必要とされて愛される場所があるはずだと、ここではないどこかを探し求めている。なんだかよくわからないけれど、もっと居心地の良い場所があるはずだという幻想にとらわれてしまっている。もちろん、もっといい場所なんて見つけたこともないし、確実にあそこにあるというわけでもないから、言い知れぬ不安がさらにどんどん強くなっていく。もう、とにかくここから脱出するということが目の前の大きな目標になってしまって、その後どうなるかなんて想像することも怖くてできない。こういう時は、ここじゃないどこかをとにかく闇雲に探しているんだけれど、その居場所があるっていう確証は全くないんだよね。確証もないのに、もっといい場所があるなんて思うのはよく考えてみると不思議なことだね。
不安が視界を歪める
そうして、とにかく脱出には成功したとして、さて、どっちにいくのか。とりあえず気の向くまま運試しのように進むしかなくなる。そうしてたどり着いた場所に腰を下ろして居心地を確かめてみる。そんなことを繰り返しているんじゃないかな。とにかくどこかに腰を下ろして確かめるしか方法がないから、最初のうちはとりあえずそうするけれども、それが何回か外れてしまうと腰を下ろすことも怖くなってくる。最終形態はずっとここではないどこかを探して動き続ける他に方法がなくなるね。迷路を彷徨い歩くように立ち止まること自体が恐怖に変わる。そうなるとここが心地よい居場所だとかも確かめようもなくなるので、求める居場所なんて見つかる可能性はほとんどゼロになってしまう。だから、その悪循環にすっぽりとはまってしまうわけね。
心を戻す
そうした悪循環を断ち切るためには、まずは今すぐそこで座ってみることしかない。どうせここも自分の居場所じゃないだろうという悪魔のささやきを無視してね。それが心を惑わせる元凶だから。そしてその場所で自分の心と真正面から対話する。悪魔のささやきは、立ち止まっている時間すらももったいない、もっとふさわしいところへ早く早くと急かすんだけど、そんな場所はもともとないんだよ。うるさい、俺の人生だ。いまここにいるのはわたしだ。そうやって、わたしの場所にわたし心を帰してあげないと、どの場所にも自分はいなくなってしまうね。ここにいる。それだけでありもしない桃源郷を探し求める強力なブレーキとなる。
本当の居場所
すぐに心は自分の家から飛び出しちゃう癖があるね。多少の冒険は人生を豊かにするけれど、冒険もすぎると悪影響の方が大きくなってしまうね。何事もほどほどがいい。そしてワクワクが過ぎて不安になったら、一旦心もお家に帰してあげればいいね。居場所はもうそこにあるんだからね。まわりのあらゆるすべてがその居場所を支えてくれている。たまに刺激がほしいと思うのはいいけれど、あまりに離れすぎるとあらぬ方向に飛んでいってしまうからね。ああ、やっぱりお家が一番寛ぐねぇ、なんて言うための冒険だもの。そこですべてが安らぐ場所。居場所なんて探さなくても、あなたはすでにそこにいる。そこにいることがすべてなんだからね。そこは出発点でもあり目的地でもあったんだよ。