毎日が日曜日

日々

気楽さ

人生はできれば気楽にすごしたいものだね。あなたはいつもそう願いながらも毎日の厄介事をすべて引き受けてそれに対処している状態だろう。ようやく終わったと思った瞬間に次々と新たな出来事がやってきて、それこそ一息つく暇もないぐらいに忙しくしている。でもそれが生きることであり、たまに何にもない空白みたいな時間が訪れて、静寂に包まれたとき、なぜかあなたは不安になるだろう。だからそれはあなたが望むことばかりが叶っている状況であり、やるべきことをあなたが欲しているからそれらが絶え間なくやってくるわけだ。それでもあなたは、たまにはゆっくり休みたいと思うね。でもそれも実は忙しいからこそ望むことができるのだと気づいたとき、あなたはすべてを受け入れられるようになる。

お休み

毎日が日曜日だったらどんなに素敵な人生だろうと思っているかもしれない。けれどもその裏返しはそうではないということを願っているとも言えるんだ。なぜならすでにそうなっているのなら、そもそもその願望自体が成立しないからだ。だから忙しい状況に自ら身をおいているわけだからね。本当に毎日が日曜日だったら、それを素敵な人生だと味わい尽くすことはそう簡単ではなくなってしまう。対称的なことがないとその境界線が見えない。そこで気づくことができるのは、気楽に過ごしたいと思える状況におかれていることが本望であり、そこでたまにはゆっくりしたいと思うことができることを楽しむことができることだ。だから逆に言えば、あなたは基本ずっとお休みの中にいたとも言えるね。いつでもそれができるわけだけれども、本当にそうなってしまうと何も感じられなくなって文句の一つも言えなくなってしまうね。

光と影

もしあなたがどうしても辛くなったとき、いつでも実はなにもない日を過ごしているだけだと思えばいいね。心をからっぽにして何もせずに過ごせばいい。それが極端で無理だとしても、あなたができる最低限のことしかやらないようにすればいい。一度それをやってみたらわかるけれども、あなたががむしゃらにやっていたときと何ら変わらないことに気づくだろう。実はあなたを攻め立てていることは何も外部からくる厄介事ではなく、あなたがそう思って生み出している幻だということだ。あなたがサボろうとも頑張ろうとも一日は確実に過ぎていく。ほら言わんこっちゃないという状況になったとしても、それはあなたがそう見たいから見ているだけで、実際のところそんなたいそうなものでもなかったりするだろう。だから思い切って何にもしないでいるぐらいがちょうどいいわけだよ。