無駄な抵抗
一休み
日々の慌ただしさや街の喧騒に疲れたならば、あなたは自由に休むといい。そんな時間がどこにあるんだと思っているだろうけれども、今それをやっていることを一旦やめたらいいだけだ。ところがそれは明日までにまとめなければならない資料だったり、期日が迫っている判断だったりするからなかなかそんな時間はとれないと思い込んでいる。でも実はそれがサインなんだ。あなたがそれにあまりにとらわれて自らを見失っているからこそ、一休みすることに大いなる意義を教えてくれているわけだ。そのまま続けていても結果的にはいまいちになるよと教えてくれているとも言える。だからそういうときこそ、違うことをやり始めたりするのがいいわけだ。余裕というかそんな遊びがなくなったときの判断は視野が狭窄しているし、情報も偏っているのでろくなものでないことがほとんどだからだね。
無駄
世間では無駄を極端に嫌う世の中となっているね。効率化という名の下、それが実は誰得なんだと考えてみればすぐに答えがわかるだろう。無駄を省くというのは結果を早く求めている人の理論でしかない。しかもその結果はあなたのためのものであることは少なく、誰かの利益のためのものであることが多い。もちろんそれを知りつつもあなたは生きるための糧を得るために、泣く泣くそれに従っているだけだね。そのうちにそれがあなたにとっての地位の向上であったり、所得の僅かな増加をもたらすことで、アメとムチで操られているわけだ。すべてを知りつつもそれしかないと思っているのならば、まんまとその作戦にやられているのと同じだね。だからあえて無駄をやることが時には必要なんだよ。そして実はそれは無駄だと洗脳されていただけで、あなたの人生にとっては必須なことなんだと知ることになるだろう。
正解
そうやって何が正解かを探す旅にでるとき、あなたにはその暇が必要となる。慌ただしく働き続けていると、その忙しさが正解にすり替わってしまい、そうしない同僚を見てイライラすることになるだろう。そこまでくれば、洗脳完了となるわけだね。わざわざ偉い人が叱咤激励しなくても同じ仲間同士で自動的に連帯責任的な枷が作用するようになるのだからね。そうして正義という名のもとに、誰に何かをいわれずともサボる人には厳しくなっていく。そうして自治が始まることで、価値観と正義が画一的なものへと収束していくわけだ。そして今あなたも多かれ少なかれそうなってしまっているかもしれないね。だから、疲れたら休むべきだし、大いにサボるといい。そのほんの少しの時間であなたの本来の生きる意義を再確認できるのだから。そう、人生は受け入れるだけで、何かをする必要など全くないということに気づくことができるだろうね。