踊りましょう
夢
夢を見るには今にあること。未来ばかりにとらわれてしまえば、夢は幻想に成り下がってしまうね。未来は結果と言い換えてもいいだろう。それが行き過ぎると、うまくいかないと意味がないという狭隘な価値観によって、夢を持つことさえ諦めてしまう。夢は今を充実させるためのいわば目印であって、夢そのものにはそれほどの意味はない。砂漠の真ん中であなたはオアシスがどこにあるかを考えている。たぶん南に下ればあるかもしれないと最初の一歩を踏み出したとき、あなたのオアシスが今そこに現れるわけだ。夢は叶えるためのものではなく、一歩一歩を踏みしめるきっかけであり、それを踏み出せた喜びが今なんだ。それには正解も間違いもないし、そんなの無駄だよと友人がアドバイスしてくることもあるだろう。もちろんそれは検討すればいいだけのことであって、だからといって無駄だから全部やめようとすることはない。あなたがそこへ踏み出す勇気ときっかけのための夢なんだからね。
未来と結果
その先に何があるかは今のところ誰にもわからない。もちろん類推してどうやらだめかもしれないと気づくこともあるだろう。そのときは軌道修正すればいいだけのことであってそれもまた夢があるからこそできるわけだ。要するに今を楽しむためだけに夢はある。見えないけれどもあなたをワクワクさせる効能がある。ワクワクして行動できれば今が楽しい。実はそれそのものが人生のすべてであり、後で考えれば結果のすべてであるわけだ。だからプロセスを楽しむというのは、今を充実させるということであり、人生を謳歌するためには今を大切にしなければならないのはそのためだね。身も蓋もないことを言えば、あなたは今にしかいられないわけだし、その連続の先には何かがあるかもしれないけれどもそんなことは今考えてもどうしようもない。だからあなたができることはただ一つ、今楽しんでいるかどうかだけなんだ。
あるがまま
結局のところあなたは前後左右に方向を決めて進むことができる。それを選ぶのはあなただ。しかもいつでもその方向を変えることもできるし、なんなら一旦立ち止まることもできる。あなたはそれをやってのける力が備わっている。一方でその数キロ先に何があるかを予見する力は貧弱だね。見通しがきく範囲であなたの視界に捉えることはできるけれども、あなたがそこに到着できる頃にはそれが変わらずそうなっているのか、あるいは状況が一転しているのかまではわからない。例えばあなたが選んだこの道はどこかで行き止まりになっているかもしれない。けれどもそれが本当にそうなのかどうかはやってみないとなんとも言えないわけだ。そんなことばかりをいくら考えたところで、その間にも刻々と変化し続けているのがこの世の決まりだとすれば、あなたがワクワクする方向へ右へ左へ、東へ西へと進むしかないわけだ。早くつまらない結果だけを求める時代になってしまったから、夢さえ持てない空白のような今を過ごすはめになっていることに早く気づくといいね。