背比べ

日々

変動

出来事は突然生まれ、そうして気がついたら消滅していくね。あなたはその中でもとびきりの悪いことばかりに注目し続けている。でもつぶさに観察してみるとわかるように、その出来事の兆候はすでにあったんだなと後から気づく事が多いだろう。実はまっすぐに上昇したり下降したりしている単純なものではなく、まるで株価のチャートのように小刻みに上下に変動しているわけだ。上がったり下がったりを繰り返しながらその傾向を抽出してみると、総じて上昇しているのか下降しているのかがようやく見えてくる。どのスケールでそれらを見つめるかであなたの心象は大きく変わるわけだ。その出来事の真っ只中にいるとき、あなたはそれが動いていることすら気づかないだろう。そうなるとそれが日常となってしまうからわからないのも仕方がないことだね。でも注意しなければならないのは、あなたの人生はそこだけで決定されているわけではないという認識を失ってしまうと、大抵の場合はおかしなことになってしまう。

背伸び

例えば背が高い人は視野が高くなる。そうするとある程度遠くまで見通しが効くようになる。ところが背が低く視点が高くないと、眼の前の出来事でもうその向こう側は見通すことができない。ようやくそれを乗り越えたときに、ぱっと視野が広がる経験はこれまでもあっただろう。先の見通しを見るためには今のあなたの視点をちょっと背伸びしなければならないわけだ。そしてその背伸びをするために必要なことは、残念ながら眼の前のこと以外の智慧を獲得するなにかしらの探求が必要なわけだね。だから勉強しなければならないと言っているわけではないけれども、シンプルに言えばあなたが覆い尽くされている眼の前のやるべきこと以外の何かをあえてやらなければ、それに気づくことができないことを示唆しているわけだ。だから今目の前のことばかりにとらわれてしまっているだけでなく、一見無駄に見える全く関係のないことをあえてやる意味はそこにある。

得ると失う

一方で、あなたの背が高くなり、見通しがある程度効くようになると今度は足元が見えなくなってしまうね。だから背が高いことが逆にその意味ではデメリットとなってしまう。まだ眼の前のことでいっぱいになって、少しの変化で右往左往しているときの方が、しっかりと自らの足元を見てそれを忘れることはなかった。ところが先のことが見えるがあまりに、実際のところ自らがどの時点で根ざしているのかという部分はおろそかになってしまう。だから今度はだからどうするという一歩が踏み出せなくなってしまうだろう。背が高いメリットは逆に一方でデメリットになる。これもどちらが良いとか悪いとかという単純二元論ではすべてを語ることができないわけだ。誰かからその方が良いと言われてやってみるものの、なんだかしっくりこないときはその背伸びがまだあなたには適合していないというサインでもある。まさに身の丈にあった高さがその時点での最適解なんだよ。