この世はすべて勘違い
形
形のないものに形を求めるがゆえに、あなたは苦しんでいるわけだ。実体を表す言葉と実体もない概念を示す言葉がごっちゃになっているから、幸せはなること、つまり実現することが幸せだと思い込んでいるからそれを実現しようともがいてしまうわけだ。幸せになるには、今を直視してあなたがそれをどう思うかということなのに、あらゆる条件が揃わないと幸せではないと見間違っている。だからいつまでたっても幸せは現れないわけだ。その根本的な勘違いからあなたはいつも浮かない顔をして過ごしている。けれどもそうではなく、そもそも実体を区別するそれなのか、ありもしない観念を指し示すものなのかを改めて考えてみるといいね。改めてそうしてみると言葉の世界というものは、実に曖昧な世界であることに気づくことができるだろう。みかんやりんごははっきりと区別できると思い込んでいる。確かにある特徴で一括りにしているわけだけれども、それぞれいろんなかたちや色が多岐にわたっていてそのスペクトラムの大まかな区分線でしかないね。
トラとネコ
例えばネコと認識しているそれは、ネコの特徴を把握したうえでその区別をしているだけのことだ。トラもヒョウもネコのような特徴があるだろうし、イヌにもネコのような特徴があるものがあったりする。でもそれを明確に区別しているのは誰かといえばあなたなんだ。もちろんよくわからないときは生物に関する資料を調べてみたりするだろう。けれどもそれを知ったところであなたはそうなんだ、ぐらいの感想しかないだろう。もっと多種多様な昆虫や海洋生物や植物に至っては、もはや専門家でもない限り普段目にしているもの以外は、ちょっとわからないだろう。それを一括りにしてとりあえずあなたの分類箱にほうり投げて処理しているというのが正直なところである。おおまかな区分であなたは生きることそのものには支障がないわけだからね。なら、幸せとか不幸とかもそれと同じだと言える。それらをとても乱雑に区別しているだけのことなんだからね。
言葉の世界
この世はそういったある意味大雑把で乱雑に区別し続けている言葉の世界でできていると知る。あなたはその世界で楽しいとか嫌だとか、善悪をほとんど無自覚にある意味で乱暴な区別を実行しているわけだ。それらの正確性とか緻密性とかは全く無視して、あなたがたぶんこっちだろうという曖昧な特徴だけで裁いているわけだ。中には勘違いしているものも多数あるだろう。ずっと今までなんとなくそう思っていたという理由だけであなたにとってはそれが絶対的な真実となるわけだ。そしてそれをエビデンスだとか間違いない事実だとか言って一人大騒ぎしているだけだね。そうしてそれが行き過ぎると絶望だとか崖っぷちだとかという、これまたどんな状況になればそうなのかという条件すらよくわからないことをわかったふりをしている。言葉の世界はすべて「わかったふりをしている」だけでできている。ならばあなたの真実というものの信憑性はそれに依存しているだけのことだと知るだろう。