求めないと叶う

日々

履き違える

健康のために、あなたは色々と気を遣って生活をしているだろう。あれはだめだとかこれはいいとかそんなことで頭がいっぱいだ。だから他人が何も気にせず美味しそうに食事を楽しんでいるのを見て、嫉妬のような感情を感じてしまっているわけだ。それで思っているとおりに健康を維持できればまだましだけれども、それによって元気がなくなったり食事を楽しめなかったりするのならちょっと見直してみればいいね。あなたが心地よい程度にしておいたほうが、結局のところ人生は充実してそこそこ幸せな時間が増えるわけだからね。ストイックな人ほど他人に対して攻撃的になったり見下したりする傾向にあるのはそのせいだね。そんなことをしてたとえ健康をかろうじて維持したとしても、結末はほぼ変わらないのだからね。なら、今この瞬間を楽しむ方が良いだろう。だからといって、なんでもかんでも好き勝手にすればいいという意味ではないことはもうすでに言わなくてもわかっているだろうからね。

幸せメソッド

同じように幸せになろうとしたことが、結果的に不幸になるように導かれていることがある。健康と同じで健康か否かの二元論になるように、幸せも同じように幸せか否かという結末に依存しているわけだからね。何を持って幸せなのか、そんな単純なことではないにも関わらず、幸せが目的になってしまえば、それはあるかないかという未来を規定してしまうわけだ。どちらかといえば幸せだなとか、ちょっと嫌なことがあったとしてもそれほど気にしないでいられるというあいまいさがごっそりと抜けてしまうからね。そんな白黒はっきりするようなことはこの世には存在しないことに注意した方がいい。あなたから見てとても幸せそうな家族がいたとしても、その家族の中に入れば紆余曲折いろいろと問題事がないわけではないはずだ。どれだけあなたが憧れの存在を追い求めても、結局は同じにはどうしてもなれないし、なったとしても同じように今まで気が付かなったことがそこには確実に存在しているのだからね。

なにもないところ

そんなことさえ気にしていないとき、健康だったり幸せはあなたにしっかりと寄り添っている。でもあなたはそれが増えるか減るか、あるかないかばかりに捕らわれてしまっているから気が付かないことが多いだけのことだ。もっと言えばそんなことさえ気にならないときこそが、あなたが望む世界を垣間見ているとも言えるね。なんでもない日常で、いつものようにご馳走ではないけれども家族そろって他愛もない話をしながら食事ができることの奇跡や、風邪一つひくこともなく、次の日も過ごせているつまらない日常こそが実は一番のあなたが望むそれなんだ。それが証拠にそれすらもままならないぐらいに体調を崩したり、忙しくなったりするときに初めてそれがそうだったのだと気づくわけだね。そして面白いことにそれほど注目してなかったそれを取り戻すために、あなたはまた余計なことをし始めるわけだ。そしてうまくいかないと嘆く日々が続くことになる。あなたは一体何をしているのだろうね。もはや笑うしかないだろう。なら笑って過ごせばいいだけのことだよ。