やりたいことをやるだけでいい

日々

マーケティング

人とモノやサービスをつなげることをマーケティングと呼ぶらしい。それがいつの間にか金科玉条となって、市場至上主義というか、マーケットがすべてというビジネスシーンが現代の社会で繰り広げられているわけだ。しかしながら物価高騰の現状においてその理論さえ危うくなりつつあるね。モノやサービスを結びつけるとしても手元の資金がおぼつかないままであれば、無い袖は触れないということになってしまうからだね。そこで適正な価格というのが市場理論によって需給関連で決定されることにより、適正価格に落ち着くと言われているけれども現実にはそうなるためのタイムラグがどうしても発生してしまうわけだ。我々はその摩擦のような遅延要因によって一時的にではあるものの苦しめられることになる。イノベーションが起こってやがて解決に必ず向かうとしても、それまでは不安で仕方がない状態になってしまうわけだ。理論的にはリアルタイムに反応することが前提だけれども、実社会においては変数が多すぎて予測不能な状況がどうしても発生してしまうからね。

仮想空間

例えばゲームや仮想空間において、そこは理論的にはプログラミングされた現実のように見えるパラレルワールドであるから、コマンドによってニワトリを100匹発生させろというプログラムを書けば、すぐさま正確に実行され実現される世界だね。ところが理論だけではなく情熱や倫理を含んだ不可解な人間社会においては、いろんな思惑が渦巻くことによってそう簡単には実現できることは少ないわけだ。理論が正しいと言っても実は世の中が大変革するような、いわゆるイノベーションが起こるのは実は理屈ではなく、パッションであることがわかっている。誰もイノベーションを起こそうとして実現したことはなく、いつの間にか気がついたらそうなっていたというところが実情のようだね。そこで理論と実践の乖離が見出されるわけだけれども、何かをしようとしても無駄だということがそれによって証明されているとも言えるね。

原理主義

何かを意思決定しなければならないときに、実は冷静に損益を計算し、メリット・デメリットを天秤にかけ判断することが正しいとされている世界において、実はそのとおりになることは全く持ってない。となると何が変革を起こすのかというと、得体のしれない、論理的ななにかではなく、ただただ目の前に困っている人を助けたいという情熱が社会を変革する唯一のエネルギーだということだ。もちろん、それもそれだけで十分であるということではなく、それが時代背景と相まって新たなビジネスとして開花するわけだけれども、当の本人はそんなことすら想像もできていないというオチだ。すなわち先に結果を見据えて逆算する方法は、現状維持においては少し効果があるものの、なにかを変えるほどのインパクトを持っていはいないということだ。前例主義や正解主義になって大企業が凋落していくのはそのせいだね。ちっぽけな私なんてと思っているそこのあなたの、一途な情熱こそが大変革の種なんだよ。だからあなたは無理せず継続できるささいなことをやっているのならそれでいいんだよ。