もう一人のあなた

日々

ほどほど

心に余裕があるときは、落ち着いて冷静に対処できることが多い。けれどもその一方で余裕があるがゆえにいらぬ心配が心を覆い尽くすこともあるね。のんびり過ごすのは素敵なことだけれども、他方でその余裕があらぬ方向へと向かい始めるわけだ。かといって忙しすぎてまるでそんなことすら考える余裕がなくなったとき、あなたは別人のようにイライラするわけだ。時間にも追われ、締切にも追われ、やることにも追われ、まさに心をなくしてしまっている状態であれば、普段何気なく取り組んでいることでさえうまくいかなかったりする。そういうときに限ってミスをしたり、遠回りをしてしまって自己嫌悪に陥ることさえあるね。ただそんな状況がゆえに、将来のことやどうしようもない不安や考えても仕方がない未来のことなんてどうでもよくなっている。心にそれらが入り込む隙間さえないわけだから、必然的に目の前の出来事に没頭するしかない状況だ。

暇すぎ

暇であることにはそういった二面性があるわけだ。久しぶりに長期休暇を取ってのんびりに過ごすことができる余白ができたとき、あなたは最初にホッとするね。ああ、このためにこれまで頑張ってきたんだと喜びすら感じている。けれどもどうだろう、ものの数時間経てば今度は、この休みが終わったあとのことを考える始末だ。まだ休暇は始まったばかりだというのに、それすらも数時間ぐらいで仕事モードに切り替わってしまう。もはや仕事中毒だと言っても過言ではない状況だ。もしくは、休みがあまりに短いことに危機感を感じるがあまりに、それを味わいつくさなければと思って無理な計画を立ててやっぱり慌ただしい時間を過ごす羽目になる。いずれにせよあなたはなにかに追われたり、忙しくしたりすることに少なくともそこに一種の安心感を見出しているとも言える。暇である状況が実はとても恐怖なんだね。

ちょうどいい

あまりにも忙しすぎるとイライラするし、考えられないミスをしてしまうから余計に落ち込んだりするし、その対応にも追われてますます余裕がなくなってしまう。他方でちょっとした休みがあれば、そうやって過去の失敗をいちいちリフレインして落ち込んだり、将来の行く末を無駄に案じたりしてやっぱり気分はそれほど良くないわけだ。では一体あなたはどうなりたいのだろうか。おそらくはその中間にあるのが望ましいと気がつくだろう。忙しすぎてもだめだし、暇すぎてもだめで、そのちょうどいいところを行ったり来たりすることが理想なわけだ。そんなことが実現可能なのかと問われると、思いついたあなたでさえそれはわがまますぎるだろうと笑ってしまうね。でも一つだけそれに近づく方法としては、忙しいときも暇なときもあなたがどこか別の場所からそれを眺めていることだ。いわばあなたがあなたをまるで他人事のように見ているもう一人のあなたを生み出すことで、そこにあなたはそれらをどっちでもない場所から見ていられるからね。