自然体

日々

過去

あなたの記憶は過去をずっと今であるかのように再現してしまうね。いっそのこと昔の記憶がすべてなくなってしまう方が良いぐらいだと感じることもあるだろう。記憶はブラウザのキャッシュみたいなもので、いつまでたっても更新されないままずっとスナップショットを保持してしまうわけだ。でもそれを今からどうにかしようとしたところで何もできることはない。だからやっぱり記憶はできるだけ早く手放したほうがいいだろう。そうは言っても必要な記憶ももちろんあるだろう。二度と同じ過ちを繰り返さないためのものだったり、命の危険を避けるための貴重な体験だったりもする。あるいは先人の知恵もそうだろうし、あなたの二度とない経験も含まれるかもしれない。ただ、それらもそのときはそうだったという限定条件がつくことが多いわけだ。そんなことよりも今を大切にしたいと思うのならば、できるだけ上書きしていったほうがいいのは間違いないといえるね。

若作り

その一方で肉体的な部分に関しては多くの人が若く見られたいと思っているようだ。そこはこれまでの経験や修羅場をくぐり抜けて生き残ってきた証であるシワや傷は勲章にはならないね。それをどうにか隠そうと皆必死に美容に励んでいる。過去の記憶の中で、特に成功体験にはこだわってなかなか手放せない一方で、肉体的な外見に関してはその証を消そうと必死になっている。何も知らない若者の外見にこだわるあまりに、ありとあらゆることに躊躇なくチャレンジしているわけだ。冷静にみれば滑稽なこと極まりないわけで、プライドや矜持はあなたの貴重な体験によって積み上げられる一方で、それを体現する老いは隠したいと思っている。結局のところ長く人生を歩んできたことを記憶では保持しつつも、肉体的には抹消しようとしているのはどうしてだろう。それなのに、若く見られた結果として若者からタメ口で話しかけられた途端にイラっとするわけだ。あなたのないものねだりには他人からみてもうんざりしてしまうぐらいわがままだと言わざるを得ないね。

執着

要するに知恵は維持しつつも、生まれたての子どものようにいつまでも若く見られたいわけだ。そうやって老いを隠そうとする本質はどこにあるのかと考えればすぐにわかるだろう。若さにこだわるのは今の自分が許せないからだね。だからそれを隠そうとするわけだ。なぜ許せないのかといえば、あなたがもはや見窄らしい老人だということを認めたくないということ。いつまでも若く見られたいのは結局のところ今の自分を受け入れられないからだね。そんな状況では今を楽しむなんて夢のまた夢だろう。だから過去の若かりし頃のアルバムを開いて、こんなに美しかったのにとため息をつく毎日だからね。若さとは未熟さであって、未熟だったからこそ今までの体験があなたには刻まれてきたわけだ。だから今こそあなたが花開く一番の良いときなのに、そんなふうに過ごしていては本末転倒も甚だしいわけだよ。老いて消えていくこの身をもっと愛して大切にした方がいいと思うけどね。