待つ力

日々

今にある

未来のことはどれだけ考えてもわからないし、過去はもう変えられないから今にあれと人は言う。けれども多くの人はそう言われると刹那的な快楽を求めてしまう過ちを繰り返してしまう。今にあるとはそういう意味ではないことはなんとなく感じているけれども、今にあるという状態を経験していないと、今を楽しもうなんて言われると極端な振る舞いしかできないわけだ。自暴自棄になって、明日のことなんてどうでもいいと投げやりになったり、単なる欲望という幻想にとらわれて後先考えないで享楽に興じたりしてしまう。そうではないことを知っていながらそれしかできないわけだ。特に今しか楽しくないようなことに手を染めてみても、その裏側には未来を意識しているからそうなるわけだ。ということは結局のところ今にあろうとすればするほど未来を捨てるという選択肢しか見つからない。そんなことでは今を楽しむなんてできるわけないね。

小窓

あなたは大きな人生という宇宙船に乗っている。その小窓から外を覗いていると人生が確実に進んでいる様子が見える。けれどもその小窓から見える景色は限定的であり、見渡そうにもすべてを見ることはできない。その小窓から切り取られた世界をすべての世界だと思い込んでいるわけだ。その宇宙船がどの位置にあってどう進んでいるかは下船して俯瞰できるところから眺めないと見えるわけもないね。あなたはいつも例えば東側の風景しか見てなくて、その反対の西側にはどんな景色なのか知るよしもない。ならばと宇宙船の操縦席に移動したところで、北に進んでいる風景は見えるけれども通り過ぎた南側はどうだったか記憶の中で残っている部分的なものでしかない。西側も見えるけれども、それもその場所から見える限りとなる。宇宙船の小窓から見える景色はどこにいても限定的なものでしかないことに注意しなければならないね。

下船

だからもう少し広い視野を得たいとなると、下船するしかないわけだ。人生という宇宙船を降りて見送ることができれば、それがどこを走り去ったのかを見届けることができる。しかしながらそれは最期を意味するわけで、あなたの意思でどうこうするようなことではない。そこで今にあれという言葉の本質が見えてくるね。どこに向かっているのかよくわからないという不安が常にあなたの中からは消えない。けれどもどこに向かっているかどうかよりも、宇宙船は止まってはないということに気がつくことだ。それが今にあれという意味だね。そうしてあなたの期待からどんどんそれていっていると感じているだろうけれども、どれもこれも気がつけば気にならなくなっていたり、なんとなく問題が問題でなくなっていたりする理由がそこにある。一度それがわかれば、今を見つめてじっと待つことが苦にならなくなるだろう。長期的な展望とは、どこに向かっているという視点よりも動き続けているということなんだからね。