映画の中のあなた
制御
あなたはいつも制御不能な状況に陥りがちだね。誰かの評価を期待して頑張っているけれども、実際にはそうはならなくてがっかりするような批判を受けたりする。誰かに気に入られようと心にもないおべっかを言ってみたりしても、それを逆に受け止められて嫌われたりもする。良かれと思って誠心誠意尽くしたとしても、余計なことをと罵られたりもする。ならいっそのことわがままに生きてやろうと思ったとしても、そのわがままとは本心ではないから、余計にうまくいかずに孤軍奮闘する羽目になってしまう。とかくこの世は住みにくい、などとつぶやいたところで虚しさだけがそこにあるだけだね。それらは一体なんでそうなるのだろう。すべては制御不能なことを勘違いして操縦しようとしていることにあるわけだ。運転席に座ってもいないのに、今乗っている宇宙船をどうにか曲げてやろうとしたところでそれは土台無理な話なわけだからね。
あなた
そうであるのなら、あなたは一体どこにいるのだろう。あなたはこの世の主人公としてあなたの心の中に君臨しているけれども、身近な友人でさえ制御することなんてできない。ましてやあなたの心はあなたを自在に操っているかのようで、実はあなた自身がそこに不在だね。あなたの家の中であなたは本当にいるのだろうか。探し回っても部屋は見えるけれどもあなたを見つけることができない。あなたの正体はどこにあるかと探ってみれば、友人という他者がいてのあなたが浮かび上がるわけだ。まるで影のような存在でしかない。そういう意味ではあなたはいたりいなかったりするわけだ。その一瞬一瞬を連続的に捉えている幻想があなたの正体だ。光がなければ闇の中であなたも消える。逆に光さえあればあなたはいつも影として現れているだけのものだ。あなたの思いとは点滅する光と影の中で生まれては消えているわけだね。
不自由の自由
誰かに依存しないで、あなたらしくあろうとできればあなたは自由だ。言い換えれば、あなたがあなたにこだわらずに影でしかないと知ったときに全体像を俯瞰することができる。そういう意味では影を見ている、あなたではないあなたがもう一人いるわけだね。そういう意味ではあなたはどこにもいないというよりも、すべてを見つめている宇宙そのものがあなただとも言うことができるだろう。まるで映画のスクリーンを見つめている観客のようだとも比喩できるわけだ。映画ではあなたの思いが投影されて、おそらくはそのハッピーエンドを願いながら鑑賞している。けれどもなかなかそんなストーリー展開にはならずにハラハラ・ドキドキして楽しんでいるわけだ。笑いあり、涙あり、喜びや悲しみを乗り越えた先には、素晴らしい結末を期待しながら見つめている。もうあなたはその映画の中にあなた自身を投影しているわけだ。でもそれは本当のあなたではなく、あなたの代わりに演じてくれている俳優に過ぎない。あなたはそれをただ見ている観客なんだからね。