秘めたる力
疲労
毎日疲れて家に帰って寝るだけの状態になっているね。そんなだから毎週休みが楽しみになっている。休むために働いていると言ってもいいぐらいだ。そうやってあっという間に年月は経ち、気がついたら体力にも自信が持てない年齢になっている。まさに光陰矢の如しだな、と思ってなんとかしなければと思ってはいるけれども、どんどんあなたは疲れて眠ってしまう毎日だ。そんなわけでやってみたいな、と思うことがあったとしても気がついたら思うだけの日々となるわけだ。こんな状態では何か新しいことを初めようとも、なんとか変えたいとあがいてみても、何一つ変わり映えのない人生で終わってしまうという得も知れない恐怖が襲いかかってくる。このままではいけない、こんなことではダメだ、そう言い続けてすでに人生も終盤に差し掛かっているわけだからね。
心地よさ
でも、まれに休日に汗をかくほどの夢中になれることをやったとき、同じ疲労でもなんだか心地よいわけだ。同じ疲労でも大きく分けて心地よさを感じるものとそうでないものがあるようだね。主に肉体的に疲れるというものは、実はそれほど不快ではないことに気がつくだろう。もちろん若い頃のようにはいかなくなりつつあるけれども、年相応の運動はそれほど悪くはない。何が一番耐え難いかというと、どちらかというと社会的な立場による精神的な疲労だったり、身近な人との人間関係によることが多い。それらに共通するものを紐解くとあなたの意思ではなんともならないことばかりだね。主体的に取り組むような問題ではなく、どちらかというとやらされているものとも言える。仕方なくそれらに取り組んでいるから、もやもやして疲れ果ててしまうわけだ。
自らの問い
だったら、できることなら自らの問いに問題ごとを変えてしまえばいいね。仕方なくやらされていると思っているそれらの問題一つ一つをあなたができることに変えられることができれば、疲れることは避けられないけれども不快さは軽減するだろう。さらに言えばそこからあなたならではの解決方法を見出すことができれば、社会貢献性もぐっと感じられるはずだ。ちっぽけなあなたでも、誰か一人だけにでもありがとうという感謝を得られたりするとなぜかあなたは疲れが吹き飛ぶことを知っている。それが疲労軽減の鍵だとも言える。さらには実はあなたはもはや余力さえ残っていないというふうに思い込んでいるけれども、あなたのポテンシャルはそんなレベルではないことにも気がつくだろう。あなたはあなたが思っているほど弱っちい存在ではなく、実はもっと大いなる力に支えられているのだからね。さて明日はのんびりとした気分の中、どんな本を手に取るだろうね。