教育は失敗

日々

脱力

あなたは、ついつい誰かの期待に応えようとして頑張りすぎる傾向にある。でもそれはあまり気にしないほうが結局のところうまくいくことが多い。いつもと同じあなたに対して期待されているにも関わらず、あなたは特別な何かをしようとして失敗しているのだからね。そもそも残念ながら誰かの期待には結局のところ添えないわけだ。いつものあなたでいいのに、あなたが力を入れてしまうからそうではない別人になってしまうからだ。だから誰かに頼まれごとを受けた場合は、暇だったらやってみるよ、ぐらいで十分なんだ。それを特別視してしまうと大抵の場合はオーバークオリティになるか、いつもの飄々としたあなたの良さが消えてしまうからね。そうなると誰も幸せにはならない。あとは全部自分でやってしまうのも良くない。あなたもできるけれどもそれを誇示するためにやるのはさらに悪手だ。あなたもできて、誰かもできることはどんどんお願いしてやってもらうことが、あなたにとっては大切な要素なんだよ。

いい加減

頑張ることが良いことだとか、人知れず努力することが美徳だとか、そんな価値観は捨ててしまった方がうまくいく。なぜならそれらは結局のところ比較対象が必要だから、誰かやなにかと比べることになってしまうからだ。あなたが辛いことはそれだけで十分であり、誰かと比べてまだまだだとか言う必要はまったくない。苦しみとか辛さをあなたが感じているという時点で、それはそこにあるのだからそのままでいいわけだね。それを比較することで、そんなことで弱音を吐いてはいけないなんて思ったしても、あなたが幸せになることとは関係がない。それどころか、あなたの表情が曇ることの方が弊害が大きいわけだ。あなたがニコニコしていることを期待されているにも関わらず、あなたが歯を食いしばってやりのけたとしてもお願いした人からすれば、もう二度と頼まないと思われてしまうからだね。あなたはあなたらしくついでにやってくれるから、あなたに任されているわけなんだからね。

考えない

思考は大抵の場合、良くない結果をもたらすことが多い。よく考えないでやればもちろん失敗することも多くなるだろう。そもそも失敗が悪いことだと教えられたのはいつからだろうね。失敗はトライアンドエラーにはつきものであり、それを避けようとしたならば何もしないという選択肢しか残されないわけだ。行動する動物としての人間は、失敗を日常とするのが当たり前であって、そこからしか学ぶことはできないわけだ。おそらく、あなたが学ぶと都合の悪い誰かが、失敗は最悪だとか恥だとかそういうふうに吹き込んだに違いないわけだ。どんな動物を観察しても、完璧な動作をするようなものはいない。ライオンでさえ命がけの狩りに失敗するし、猿も木から落ちるわけだ。そこから学ぶことで強かに生き抜いているとすれば、失敗は生きる糧といってもいいだろう。なのに人間だけはなぜかそこが歪んでいるのはおかしいと気づくことができるかな。あなたの人生は失敗することで成立しているわけだよ。