どうでもいい

日々

予想不能

いつもあなたは少し先を予測して不測の事態に備えている。けれども、やっぱりそううまくはいかないから、そうならなかったときにがっかりするわけだ。そんな不安定なところを拠り所にしているから、いつもあなたはそれに翻弄される日々を過ごすはめになるわけだ。明日の天気がどうなるかは、今やスマホが教えてくれる時代だ。けれども不意に雨に降られたとき、あれ、予報とは違うなと不思議がるわけだ。現代の科学技術を持ってしても予報は絶対的なものではないわけだけれども、あなたがそれを信じることであなたは逆に余計ながっかりを感じている。何がどうなるかわからないと未来の期待や結果を捨てることができればそれは避けられるし、逆にどうなってもあなたの軸がぶれないのでそれらに翻弄されることも減るだろう。

幸せになるための努力

これまであなたは、そういう不確定な部分をなにかに依拠するクセがあることに気づくだろう。予測不能なことをある程度の努力をすれば避けられると思っている。だからありのままを受け入れがたくなり、努力が足らないからそうなったんだと自らを責めるか、誰かのせいにするしか選択肢が残されていないわけだね。そうではなく、自然とはそういうものであり、急に雨が降ってきたとしても、それに適切に対処すればいいだけのことだ。単にそれだけのことなのに、重大ななにかとして考えてしまうから、あれこれと犯人探しに追われてしまう。そんなときは、あなたの体が疲れているわけだから、第一にすることは次善策をあれこれと考えることをやめて、趣味に興じたり体を休めたりすることが一番大切なことだね。

どうでもいい

だから、そんなことをくよくよ考えるのは実のところ余計に疲れてしまい、結局のところすべてが予測に反した結果ばかりとなってしまう。だからさらに負の循環に陥ってしまうのは言うまでもない。当たり前のことなんだけれども、あなたがそれらを楽しめているかどうかですべては決まるわけだ。それが自然とともに生きている証であり、あなたがちょうどいいバランスで暮らしているかどうかのチェックポイントでもあるわけだ。なにかがうまくいかないとしても、そういうものだなとスルーできるのか、それとも大問題として大騒ぎするのかが分水嶺だね。たとえどっちを選択したところで、自然はそのままずっと自然であり、この世界はずっとそういうものだ。同じ景色をみて大喜びをしている人もいれば、絶望の淵に立たされている人もいる。できればそういうこともあるさと風に吹かれて生きている側でいる方がより自然だとも言えるね。