幸せのアルゴリズム

日々

空気が振動することで音が伝わる。あなたの声も空気を通じて人に伝わるわけだ。なにもない空間では声すら誰にも届かない。声が聞こえるということは、なにかそこにあるからできることなんだ。ところがあなたはそういうことを普段は全く意識していない。だからあなたは声を上げるわけだけれども、声が伝わる事自体が何かを介在しないとそもそも無理なわけだ。そういった関係性の中であなたは生きている。しかしながらそんなことは所与の条件としてあなたの中では考察する対象ではない。あなたの声や誰かの声が伝わるという奇跡を当たり前のこととして捉えている。そんなふうにあなたが当たり前だと思って、そのことについてはなんの探求もしないようなことが身近にはたくさんあるね。ほとんどすべてがあなたの活動を支えてくれているということは、あなたには全く見えないことなんだ。そこに気づくことができるなら、あなたの世界はがらりと変わることがあるのは、そういうわけだね。

一方で光はすべてを貫く波動の一つだね。なにもない空間でも光はあらゆるところを照らすことができる。そしてあなたがそれを感じられるのは目だけだ。その目で光を捉えることであなたの世界は広がるわけだけれども、その同じ光を見ていても世界観はまるで異なることが多い。その光をどう解釈するかが実はバラバラだからだね。光の信号をキャッチしたところで、それを至福の世界と見るのか、絶望の世界なのかはあなた次第だということだ。もっといえば光があるから何かが決まることではなくて、それをどう受け止めるかが一番の要点であることを意味するわけだ。あらゆるものを照らす光という信号をあなたがキャッチできているわけだけれども、その世界をどう解釈するかは全く違うわけだね。光があれば闇もあるわけで、照らされていない部分は漆黒の闇としてあなたは見ているかもしれないし、その暗闇にも希望の光をあなたは浮かび上がらせることができるだけの能力を持っている。

肉体

そうやってあなたは肉体の五感を通じて世界を理解しているわけだ。その五感というものもあるようでない幻想みたいなものなのは、人それぞれに感じ方が異なるからであり、何が客観的な世界かというのは夢のまた夢の問題となる。だからその通念を宗教観や世界観がベースとなってできるだけ統一しようとしているわけだ。神がいるかいないかとか、何を信じるかとかという問題は、肉体を通じた五感の信号をどう処理するかのアルゴリズムとも言えるわけだ。暑いとか寒いとか、楽しそうとかつらそうだとか、そういう感覚が芽生えるのも実は電気的な信号をどう変換するかという問題に行き着くわけだ。さからこの世は幻想だとも言い切る人がいる。なぜならその信号は所与のものとしたところで、そのあとの処理に関しては全くもってバラバラだからだね。あなたの心配事は、あなたの所与のパラメータで決まるわけで、同じ信号が与えられた別の人から見ればなんて幸せな世界なんだという処理も可能だということだよ。