不自然な同級生
同世代
なぜか同じ世代でまとまることが多いね。同じ学年とか、同い年とか同期とかそういった類のことが当たり前だと思っているだろう。それぐらいの日常になっているし、そのことについては特に気に留めることもないだろう。ところが、ずっと同じ世代で集まること自体が特殊であって、どんなコミュニティでもいろんな世代が横断的になっているのが普通というか自然な状態だといえるね。わざわざ同世代にまとめているのは、今の学校制度によるものであって、そこがベースになっている。それはとても不自然であり、一度同学年として集められると、そのまま同じく卒業し、その後も同期として社会に参画するわけだ。そしてそれぞれが決まった形として人生を送ることが多いわけだから、やっぱり特殊だと言ってもいいだろう。
世代交代
少し前の時代においては、三世代同居とかも珍しくなかった。おじいちゃんおばあちゃんがいて、自分の親がいて、子どものあなたがいるという状態だね。そしてあなたが一人になることは少なくて、親が忙しくしていても暇な祖父、祖母がその代替をしてくれていた。あなたをいつも無条件に受け止めてくれる人がそばにいたので、あなたは孤独を感じることは少なかったね。そしてやがて自然な形で先立つわけだから、人の最期を身近に体験することができた。それはあまりに切なく儚い反面、その人生の軌跡はあなたの心の中にしっかりと刻まれていたわけだ。確かに死んでしまうことは避けられないけれども、その生き様はあなたの心の中にしっかりと刻まれて感謝とともにあなたの未来をも形作って、確かにそこでは生き続けているわけだ。そういった命のリレーを受け継ぐことが、あなたの人生の1ページになっていたわけだね。
画一化
どんなコミュニティでも同世代だけを集めるのは得策ではないのは、始まりも終わりもほぼ同じになってしまうから、それを引き継ぐ誰かがいなくなるからだ。命は限りがあって、同世代だとそれ以上の発展はどうしても望めない。大人はやがて親となり、我が子にその生き様を伝えて、さらによりよく生きるようにとバトンを渡して先立つことの繰り返しだね。やがてその我が子もあなたと同じ人生をまた次の世代へと伝えていくわけだ。命は伝承することで永遠となる。その生命のリレーを途切れさせないようにと、あらゆる地球上の生物は格闘してきたとも言える。その自然状態においては、同世代や同学年が集団化することはタブーだとも言えるね。そんな不自然なことを当たり前だと思っているのはおそらくあなただけだろう。画一化はかなり危ない状況であり、自然は多様化を生き延びる戦略として選択しているのだからね。