ご苦労さま
耐用年数
おそらくは戦争によって焼け野原になったから、一斉に社会的インフラが同時期に建造されたせいで、それから数十年経った今同じく老朽化していると考えられる。だから突然不具合が連発したりするのはそのせいだろう。いわば建造物には寿命があって、老朽化するペースもほぼ同じだということだ。だからまた同じように一斉に建て替えなければならない時期にさしかかってしまっているのだろう。これはなにも建造物だけではなく、社会制度そのものにも当てはまる部分もあるのかもしれないね。制度疲労を起こしてこれまでと同じようには仕組みそのものが維持できない状況になっている。それなのにこれまでの慣性の法則のようなもので動きを止めないわけだから、そのギャップによってそろそろ入れ替えないといけない仕組みや制度も散見されているにも関わらず、まだまだ大丈夫だろうという希望的観測との差異から、世の中の変革にすぐさま対応できないままにいるのが今日の状況と言えるかもしれない。
変わり続けること
ある枠組みでこれまでの正解を踏襲し続けることに無理が生じたとき、大いなる制度設計そのものを作り変えないといけない。ところがその中で暮らす人々にはその問題意識が芽生えるにはもう少し時間がかかるわけだ。それをいち早くキャッチしてうまくビジネスに変えることができる人は、新たな商機をそこに見出すことができる。しかしながらこれまで通りで無自覚に過ごすことを願っている人からすればとんでもない時代だと保守的になる。その対立がまさに今起きているわけだ。かつての栄光を取り戻すとか、これまでの制度を復活させるとか、昔話に花を咲かせるのも同じことだ。老害なんて悲しい言葉で総称されるように、かつての武勇伝は現代社会においてはハラスメントに変容しているのもそのせいだ。その自慢はもはや時代背景の変化とともに書き換えられなければならないとは頭でわかったふりをしたところで、それを全否定されるのは辛く思えるのも変化を受け入れるということがいかに難しいかという証拠でもあるね。
プライド
誇り高く生きてきたつもりなのに、それが今や通用しないどころか弊害が大きいとまで言われるのはショックだろう。ところがそれの根本にあるのはつまらない承認欲求からきている。少なくとも苦しく頑張ってきたことを全否定されるのは許容し難い苦痛となってあなたに襲いかかるだろう。でもその正体は誇りやプライドという無自覚なあなたの拠り所でしかない。それがわかったとしてもそれを直視することぐらい怖いことはないね。だからこれまでの経験はそのままでいて、少しばかり変化を許容する練習を続けていくしかないわけだ。それもこれも時代のせいだと逃げ出したくなるところを、少しだけそれと向かい合う時間をつくることで、その本質が見えてくる。いつの時代もそうやって人々はもがき続けながら、なんとか折り合いをつけてこれまで生きてきた。それに気づくと、なんだこれまで通りに生きていくしかないんだと腑に落ちるポイントが必ず見つかるはずだ。あれほど苦労してきたのにという前に、なるほど今はそうなんだととっとと受け入れることで苦しみが楽しみに変わるのだからね。