全部やってみる

日々

必要

あなたには必要なものがいつも不足している状態だね。あれもこれもやってみたいことはたくさんあるけれども、いつもの仕事に忙殺されてそんな時間を割くことはできないままでいる。あるいは、やりたいことにはある程度の資金が必要だけれども、その資金を調達するために仕事に追われていたりしている。時間もお金も潤沢にあるわけではなく、仮にそれらが十分であったとしてもその次のやりたいことが今度は見つからなかったりする。時間もお金も資源もすべて揃ったとしてもその時点でのあなたのやりたいことは、のんびり何もしないことだったりもする。回り道や遠回りをせずに、一心不乱に目標を掲げて首尾よく到達したところで、あなたは自分自身を見失ってしまうわけだ。一体あなたには何が兼ね備わって充足すれば満足できるのだろうね。

不要

だから忙しいときこそ、不要なことや道草がその意義を持つわけだ。こんなことしている場合じゃないというときに、一見無駄に思えることを真剣にやってみるといい。結果的にそれらがやっぱり無駄だとわかったとしても、逆に言えばあなたの本当にやりたいことや必要なことが見えてくるわけだね。そんなことやらなくてもわかると言うかもしれないけれども、やってみての経験としてのそれと、頭の中で想像しているだけのそれとは全くの大違いだ。あなたの本質に触れるためには、頭の中の想像では到底それはできないからだ。散々無駄な遠回りをしてきたからこそ、あなたの人生の地図は完成するわけだからね。実際にやらないまま一直線に動いたとしても、あなたの地図にはその情報だけしか残されないとすれば、そんな陳腐な地図はなんの参考にもならないね。効率化の罠とはあなたの視野をとても狭くしてしまう危険性を孕んでいることだ。

応用

あなたの未来地図に、周辺情報が欠落しているとたとえ必要十分な目的が叶ったとしてもそれ以外の道はそこにはない。ところが道草や回り道、遠回りや無駄な冒険によってあなたの周辺地図はどんどん広がっていくね。それによってあなたが現在地を認識することができる。地図というのはそれ自体は何ら役に立つものではない。そこにあなたと言う現在地があって初めての価値が生まれるわけだからね。そこから俯瞰し、いわばメタ認知する範囲がより広くなるからこそ、あなたは潤沢な選択肢とちょっとした遊び心のルートを選択することができる。だから一見無駄なことや、今それをやる意味があるのか、ということこそあなたに本質を選別することができる能力が兼ね備わり、豊かな人生を楽しむことができるわけだ。まさにそのために生きていると言っても過言ではないのだからね。だから無駄だと思えることは実際に全部躊躇なくやってみることが一番なんだよ。そうするともはや迷うことなどないはずだからね。