伴走者
制限
支配と制限が躾や教育とすり替わってしまっていることが多い。子どもにしても部下にしてもあなたからすれば未熟であり、衝動的で考えが浅い存在であるから、あなたはそれを正すために叱責したり指導しなければそれ以降の成長はないと信じている。その事自体を問い直すという発想すらおそらく浮かばないぐらい信じて疑わない状態だね。でもそう思っているのはいつからだろうね。あとそれは本当にそうなのかを問い直しても、あなたは説明責任をきちんと果たすことができるだろうか。その一方で放任という言葉があるから、なら放っておいてもいいのか、という反論が必ず来るけれども、それは指導や制限の対義語としてふさわしいものかどうかを再検討してみるといい。あなたがなんとなく思い込んでいる支配と放任を勘違いしていることに気づくことができるかもしれないからね。
自由奔放
おそらくあなたは放っておけば、自由を主張し、好きなことだけしかやらないし時間配分でさえ見失ってしまう状況を自らも体験してきた。だから他人に対してはあなたと同じ轍を踏むと予測しているわけだ。となればそれが子どもでも部下でも後輩でも、あなたと同じだと疑っているからそうなっているということだ。好き勝手にやることを許せば、どこまでもそうなると信じ込んだルーツは、あなた自身にあるわけだ。そう、夢中になったり中毒になったりすることは何も未熟だからとかということではなく、大人であってもあなたであっても同じことだと言える。しかしそこであなたは気づくことができ、そこからどうにかこうにか脱却できたわけだ。それは誰かに強く言われたことがきっかけになっていることもあるだろうけれども、本質的にそれが今でも続いているのは自らそれに気づいてコントロールしているからだね。
支配
あなたは他の誰かに支配されたりコントロールされていないけれども、唯一その絶対的な指示をあなた自身が出している。だからあなたは他の誰かにも同じようにしようとしてしまうわけだ。けれども、結局のところ誰か他の人から言われたことはきっかけであっても、それを実行できるのはあなただけだね。そこが一番のポイントだとも言える。あなたが決めたという経験が今のあなたを形どっているわけであり、誰かにコントロールされたからそうなっているのとは違うわけだ。あなたでさえうまくいかず何度も失敗を繰り返しながら、なんとか依存性の高い娯楽や行動から距離を置くことに成功した。もちろんこれで一安心でもなく、次から次へと脅威はあなたにやってくる。だからそのすべてを支配しようとするのはそもそも無理な話だと知っているね。失敗は次への挑戦の入口であり、それを乗り越えないと結局のところ同じことの繰り返しとなる。まるごとそれらを受け止める力を身につけることが人生の本質だとも言えるわけだ。