いつもの

日々

普段通り

いつものとおりにやっているのに、なぜかうまくいかないときがあるね。その原因が即座にはわからず、もやもやしながら今日はついてない日だと塞ぎ込んだりする。いつも通りというところにポイントがあって、そのいつもと思っているのは過去であって、それがこれからもうまくいき続けることなんて誰にもわからないのは当然だね。なのにあなたはその過去をいつまでもお手本にしてそれをベースに未来を生み出せると思い込んでいるわけだ。ちょっと離れて冷静に見ればすぐに気がつくぐらいのことが、実は全く見えていない状況だとも言える。それがわかればあなたがいつも通りとか鉄板だとか思っていることがどれほどもろく儚いものであるかということに恐れおののくだろう。あなたという塊はすべてそういった過去でできている。だからいつもの通りという発想そのものが厄介であって、それがあなたを不幸にする原因なんだよ。

記憶

あなたの構成要素がすべて過去であり、過ぎ去ったことの記憶によってできているわけだ。なら今のあなたはどこにいるのかと探してみたら、実はどこにもいなかったなんていうオチになるわけだね。そう、あなたらしさとかあなたがなにかと比べて構成されている常識だとかいつも通りというやつは役に立たないポンコツばかりだ。もちろん今後の展望を考えるにおいて、その拠り所がどこにもないと不可能なんだけれども、それを仮置きの設定でしかないことに注意しなければならない。それをあまりに過大評価してしまうと、どんどん角度がズレてしまうのは必然だとも言える。そしてその考察をするにあたっては、未来予想をする前提になっているのだから、何が起こるかわからないという一定のスタンスを保ちつつ進めていかなければならない。だから前例主義に陥った組織がどんどん没落するのも無理はないわけだ。それよりも突拍子もないことをやることの意義はそこにあるね。

現状打破

そうやって習慣化された過去の記憶による思考停止は、突発的なことや予想外のことに全く持って無力となる。だからその変化を嫌うがためにそれを運のせいにしたりしているだけのことだ。この前はこれでうまく行ったのにそうならないのは、あなたではなく周りが悪かったというオチで安心しているだけのことだ。でもそうやっているうちにあなたは本当に過去の幻影としてしか存在できなくなっていくわけだ。さらに思考をしているつもりで実は停止しているわけだから、現実とのギャップがどんどん大きくなっていく。そうやってこれだけ頑張っているのに報われないとつぶやいたりする。そうなったときにどう対処するかという選択肢や多様性をすでに失っているからだね。だからそれを少しずつ遠ざけるためにも、やってみたことがないことをやってみよう。一見無駄だと思えることをあえてやることであなたは過去の塊から少しだけ顔を出すことができるのだからね。