注意の仕方に注意せよ

日々

注意

ほとんどの場合、注意するときは最悪の状況を想定しているね。高いところから落ちるとか、重たいものを落とすとか、そういう危険を察知してケガするよと注意するだろう。もしくは、いい加減なことをしていては信頼を失ってしまうとか、無計画だと失敗するとかだね。注意をするときはどちらかというとその先悪いことが起こるというイメージが多い。一方で良いイメージのときは、注意よりも応援することが多い。もちろん勝っては兜の緒を締めよ、なんて言葉もあるけれども大抵の場合は、そういう声かけにはならない。でもそれを変えてみてはどうだろう。どうせ注意喚起するにせよ、しっかりとつかまりなさいとか、落とさないように体制を整えなさいとか、そういうどちらかというと前向きでそれも支援やコツとしての注意をするようにすれば、ギスギスした関係も少しは和らぐかもしれないね。

先回り

そうやってケガしたり失敗したりする前に、徹底的にそれらを排除することが愛情だと思っている。ところがそうやって何もまだやってもないし、失敗もしていない状態でそうやって声かけしてしまうと、貴重な体験を奪うことになりかねないね。もちろん命に係わる大失敗は別として、そうやってしまった後に学ぶことが実は一番大切で、それをやらずに過ごしてしまうとそれらに直面したときにどうしたらいいかわからない状態になってしまう。だから、小さな失敗を何度も経験することは生きる力という意味においては最重要課題なわけだ。失敗とはその状態から何も学ばないことであって、仮にうまくいかなかったとしてもあきらめずに粘り強くそれを糧として次の挑戦に向かうことは失敗ではないね。それはプロセスであって何かを成し遂げるためには必要なステップなわけだからね。

イノベーション

何か新しいものを生み出す裏側には、それこそたくさんのそうならなかったことが潜んでいる。あなたが今ここにいるのも、すべてがうまくいったからではないね。小さないざこざや失敗が日常的に起こっているわけだけれども、それをなんとか乗り越えての今があるわけだ。そしてそこから学んだたくさんのスキルや経験が次の挑戦を可能にしている。だから先回りして最悪な状況ばかり注意として伝えてしまうと、そういわれてきた当人は同じように常に失敗の恐怖に支配されてしまうね。それによってやってみたらたいしたことのないことでさえ、慎重であるばかりか臆病になってしまって手も足も出ないようになる。それはそれだけの損失ではなく、その後の学びにも大いに影響を及ぼしてしまうね。そうやって失敗は悪としてとらえてしまうと、人生の根幹が失われてしまうといっても過言ではないんだよ。