蛇足

日々

引き算

より良いものにしようとして、ついつい足してしまうことが多い。ところが余計なことになることが多いね。新製品などもここ数十年の流れとして、毎回より高機能、多機能になったと喧伝している。ところがそれによって幸せ度が大幅にアップした試しはなく、はじめは目新しさで少しの喜びを感じるものの、便利になったという実感はやがて薄れていく。そしてもはやどうでもいい機能ばかりが追加されるように感じ始めると、その商品の魅力自体が薄れてしまうわけだ。同じようなことはあなたの日々の暮らしの改善や、あなたがこうなれば幸せなのにということにも現れていて、もっとなにかが手に入ればもっと自由になれるとか、もっと豊かに暮らせるとか、そんなことばかりで頭がいっぱいだね。それで少しずつそれらを手にしたところで、先の新製品と同じ現象に見舞われるわけだ。こんなはずじゃなかったのにと、さらに足りない何かを探し求める旅に出るわけだ。

飽和

ある程度までは、劇的に暮らしが変わるほどの便利さが手に入る。ところがそれ以上は蛇足と言ってもいい機能ばかりが増えていくわけだ。それは何も文化や製品だけにとどまらずに、あなたの目指す幸せな暮らしにも同じことが言えるね。だから最近ではあえてモノを持たないミニマリストなんていう人たちも出てくる始末だ。ただそれはモノに溢れすぎてかえって不幸になるぐらいならば、必要最小限で十分だと言うものに限定して所有するという考えだね。しかしながらそんなミニマリストも例えば多機能である洗濯機や電子製品は厳選して持っているわけで、必要で便利さを享受できる製品までをも手放すそれではない。それ以上に必要がないという意味で文化的で便利な暮らしを追求した結果でもあるわけだ。ミニマリストはデジタル機器を駆使しているし、スマホやタブレット、パソコン系は必携となる。それこそ違う時代の人からすればすでにミニマリストでもないかもしれないね。

情報

現代ではスマホに操られている人が多数になってしまった。小さな板からあらゆる情報を得ることで、価値観をインストールされ続けている。ネット以前ではテレビや新聞がそうだった。もちろん新聞は持ち運んで隅々まで読んでいる人も多くいたけれども、今ではテレビも漫画も雑誌もニュースもすべてポケットの中にある。そして移動時間や食事のときですらそれらを手放せない状況にある。それがもたらした幸せは一体なんだろうね。もちろん、今やスマホを持たない生活をせよと言ったところでそれを実行することすら困難な時代となった。けれどもそれはここ十数年の変化でしかない。そんなものがない時代は不幸だったかというと、そうでもなかったね。以前は携帯電話があったし、小さな画面でネットニュースやメールなどは見られていた。それとスマホは何が違うのかというと情報という意味ではそれほど大幅に変わったわけではない。その変化でさえ数十年ぐらいのものだ。さて、幸せの定義はそれから比べると何が変わったというのだろうね。