ワクワクしているかい?
塞翁が馬
思っていたとおりにならないことばかりだね。予測や期待していることが叶わなかったとき、あなたは憂鬱になるわけだ。でも未来のことは実は誰にも予測不可能で、だからこそ未来なわけだね。だから、あなたが想定したとおりになるとすれば、それは今であり未来ではない。未来というのは、どうなるかわからないからこその魅力であり、従ってワクワクするにふさわしい。それがもし予定調和として今の延長線上に決まり切った形であるとすれば、ワクワクすることはない。何が起こるかわからないからこその期待でもある。ただ多くの場合はあなたの期待通りにはならず、ちょっとがっかりすることが多いわけだね。でもそれこそが未来であり、何が起こるわからないアトラクションを楽しむことができるのはそういうわけだね。それ以上でもそれ以下でもなく、予測できてしまえばつまらないそれに成り下がるわけだからね。
希望的観測
その中で、あなたはできればこうなってほしいという欲望を交えてしまうわけだ。本来未来とは何が怒るかわからないというワクワクのためにあるのだけれども、あなたがそこに余計な欲望を埋め込んでしまう。その結果、大抵の場合はあなたの思うようにはならない。でもそれの理由はもうすでにわかっているはずだね。そもそも未来に希望的観測を含めてしまうと、それはワクワクでもなんでもなく、ギャンブルで言うところの、本命となる。そしてその本命があたりになればいいのだけれども、実はそうはならないわけだ。そもそも予測不能だと言ってるにも関わらず、予測可能ななにかに成り下がっているわけだ。だからそのすべては当たるわけがないね。それをいつも無視して、今度こそなんて思っているあなたがいる。でもそれは無駄な悪あがきであるとも言えるね。それが叶う可能性などゼロに近いのだから。
結果への恐怖
未来は予想不能だとしたら、今あなたができることは限られている。それは今ベストを尽くすのみとなるわけだ。その結果どうなるかは、神のみぞ知る領域となる。たまたまそれが実現したとしても、それは物語の始まりであって、そこからどう展開するかという問題は、あなたにタスクとして残っているわけだね。だから、小賢しい計算でどうにかしようとすること自体をやめたほうがいい。そんな前例主義、正解主義の時代ではなくなりつつあるのだからね。何が起こるかわからないというのが本来の自然な姿であり、それをなんとかねじ曲げれば希望が叶うなんていうのは牧歌的、自己主義的の度が過ぎるわけだね。そんなことばかり気にしている間に、あなたの命の灯火は徐々に終盤に近づいているわけだ。