他人という自分
このまま
あなたが今までやってきたことがすべて無駄に思えることがあるかもしれない。けれどもそのままでいいんだよ。これまで遠回りばかりしてきたことを悔やむ必要は実はどこにもない。なぜならそれがあるから今があるわけで、そのおかげの集大成が今なんだからね。もちろんあのときああしていればという気持ちは止められないだろうし、そう思ってしまうのは仕方がない。でもよく考えてみれば、今がそんなことすら考える余裕があるからそう思えるわけだ。ということは、過去を悔やむぐらい今がしっかりとそこにあるということだから、やっぱりどう考えてもそうしたからあなたがここにいて、あれこれと後悔しながら前に進んでいくわけだ。もちろん同じことを繰り返さないようにと注意を払うだろうから、また結局のところ同じ後悔があったとしてもそれで完成なんだよ。
未来
もっとあなたは幸せになれるわけだ。けれどもそれは過去への後悔や反省などが駆動力になるわけではない。いくら思考したところで、あなたはやっぱりそうしてしまうだろうし、それをやるために生まれてきたと言っても過言ではない。だから未来をよくしたいと思うのは止められないし、止める必要もない。まるごとひっくるめてそのままでいいということだ。明日これをやろうとか、明日から頑張るという思いはそのままでいいし、ちょっとやる気がでないからのんびりと過ごそうと思ってもどちらでも同じ結果となるわけだ。また同じことをしてしまったといつか反省することがあっても、それも全部ひっくるめてまさに幸せであることには違いないのだからね。やりたいようにやるだけで、あなたはもうすでに幸せが確定しているということなんだけれども、実はとても誤解されてしまうところでもある。何も傍若無人になれということではないし、それをやったところであなた自身の心の声を聞けばわかるはずだ。
悲喜こもごも
優しく思いやりあふれるあなたは、いつも損ばかりしているかもしれない。でもそれは損ではなくて徳を積んでいるということだ。もちろん直接的になにか見返りがあるわけでもないけれども、あなたのためにそれはあるわけだ。誰かのためにという視点ばかりで見てしまうと勘違いしてしまうことがほとんどだ。あなたがそうしたいのは、誰かのためと言いつつもあなた自身を一番に据えているからそれをしているわけだからね。他人というのは実は口実ぐらいの意味合いしかなく、やりたいからやっているというのが真実だ。いやいや、やらなくていいのならやらないよ、と言うかもしれないが、ならなぜバッサリと切り捨てられないのだろう。そこを深く見つめてみるとその先には誰か他の人を突き抜けて結局のところ行き着く先はまぎれもなくあなたが見えるだろう。すべてはそういうことだね。