一瞬

日々

五感

ただ感じることがある。でもその瞬間に思考に変わってしまう。だから楽しい時間はあっという間に過ぎて、つまらない時間は何度も時計を見るようになる。同じ時間が流れているはずだと思っているのに、その進み具合が大きく違うわけだ。そこからわかることは、時間とは幻想だということだね。もちろん1秒が同じだと決めることで社会的な生活にはとても便利な基準である一方で、心の時間はそうやって大きく変化するものだからだ。人それぞれによって時間を弄ぶのか、時間が足りないのかを恣意的に決めている。秒針はいつ見ても同じ速さで刻んでいるというのに、あなたはそれとは違う単位で感じているという二重性が起こるのはそういう理由からだ。感じるというのも時間とともに変化している。経済学用語では限界効用逓減の法則なんていうのがあるように、仕事終わりの一口目のビールはとても美味しく感じられるだろう。ところが二杯三杯となるにつれ、ただ欲求を満たすために飲んでいるわけだ。

不足

足りないという思考がすべてを永遠から引き剥がすわけだ。夢中で過ごしているうちにふと我に帰って時計を見るともうこんな時間だとなる。もっと楽しい時間を過ごしたいとそこで思考が始まってすべてが台無しになる。一方で辛い時間を過ごしていると、何度も時計で確認するもまだ数分しか経ってなくてイライラしたりする。あと30分もこのままでいなければならないのか、と絶望的になったりするのもあなたが知っている夢中で過ごした時間の速さとはかけ離れた遅さを感じているからだ。普段忙しく過ごしているあなたにとって、30分などあってないような時間だというのに、同じ時間だというのにその流れが大きく変わる。ならば時間がもったいないと主体的、能動的に集中して何かをやってみればすぐに時間切れとなって、あなたを惑わせるわけだ。そんなことを繰り返していると、こうも思ったようにならない現実を呪うようになっていくね。

順調

すべてが順調だと感じるとき、あなたの時間と時計の刻む時間が同期しているか、ちょっとあなたの時間が早めにすぎるぐらいとなる。すなわち時間を忘れているときが順調で至福な状態だとも言えるね。忘れているというのは、そもそも時間はあなたが時計に目をやるときにしか現れず、寝ているときにはあなたはそれを認識できない。もっと言えばあなたが覚醒しているとき、すなわち思考をしているときにしかあなた自身も現れず、時間も存在し得ないわけだ。すなわちあなたが幻でもあり、その上での時間も幻であるとも言える。いやいや、起きた瞬間に時計を見て、寝過ごしたことになるから時間は絶対だと言うかもしれない。けれどもそれはあなたが思考を始めたからそうであり、もしずっと目覚めなければ何も起こらない。それはむしろ永遠の眠りであり死と等しいと認識するしかないわけだけれども、逆に言えば覚醒したと思っているあなたも本当のところそうであるかは、誰にもわからないかもしれないよ。