それはいつも突然だった

日々

創造と破壊

何かを生み出すということは、同時に何かを壊すことでもある。これは片方だけが存在し得ないわけだね。幸せと不幸も同じことだ。幸せだけを願ってやまないけれども、幸せになればなるほど不幸も同時に大きくなる仕組みだ。たくさんのモノを手にしようとすると、やがていっぱいになってなにか不要なものが必ず出てくる。良いことばかりを追い求めたとしても、同時に取るに足らないことを手放さないといけなくなる。そうやって表裏一体なものにそもそも執着すること自体が不幸だとも言えるね。売上を伸ばすためには、売上とは関係のないものを排除しなければならないだろう。戦略というのは何をやるかというプランだけでなく、それによって何をやらないかということを決めることなんだ。頑張ってあれもこれもと四苦八苦しているけれども、結局のところうまく行かないのもその理屈で言えば気づくことができるだろう。

忙しさ

あなたが日々忙しくしているのも、やるべきリストばかりに目を奪われて、何をやらないかというリストを作っていないからだ。やるべきことに集中するのならば、同時にやらないことを明確にしなければ虻蜂取らずとなってしまうからね。だから、やりたいことをやる、というのを最優先するのが得策だと言われているのはそのせいだ。やれることには限界がある。ところがそこには努力によっていくらでもそのリミットを引き伸ばすことができると信じているから、すべてを叶えようと必死になっている。それ自体は涙ぐましい努力と呼ばれて評価されることもあるだろう。けれども結局のところ中途半端で時間切れになってうまくいかない。それどころか気がつけば一番大切な家族との時間や、友人とのなんてことのない語らいの場さえ失っている。その状態を忙しいと呼び、まさに心をなくした状態となるわけだ。

救世主

あなたを取り戻すには、あなたが今見ている風景はやがてどこにもなくなるということを自覚することだ。今忙しくしているのも、そのための予行演習のようなもので、決して永遠に続くわけではない。あなたが知ることですべてが出現するわけだし、あなたのまだ見ぬ知らないことは想像すらできない。でもふと振り返ると今ここでこうしていることを予測することすら不可能だったわけだ。知らないことは不思議な力によって与えられ続けている。すなわちあなたが知ることばかりでなんとか頑張ったとしても、いつも知らないなにかが急に出現してその苦境を救ってくれているわけだ。変な話知らないことを信じるというのはそういうことから類推できるだろう。あなたが今知っていることは残念ながらあなたの一助にはならないことが多く、大どんでん返しでいつもガラリと世界が変わる。これからのことは誰にもわからないけれども、これまでのことを振り返ってみれば次もおそらくそんな感じになるに違いないよ。