じっとできない

日々

特別なこと

やや言葉遊びになるかもしれないけれども、特別とは普通に少しだけのエッセンスを加えたものだね。何気ない毎日を過ごす中で、普段とは少しだけ違うエッセンスを加えることで見違えるようにスペシャルな瞬間となる。だからベースは何気ない日々となる。だからそこを崩してしまうと心地よい幸せな時間は決して訪れることはない。あなたもそういった経験をすでにしているだろう。毎日一息つく暇もなく過ごしていると、毎日が日曜日になったらどれだけ幸せだろうと夢想している。でも実際に長期休暇を取得してやってみると、なんだか充実するどころか不完全燃焼でちっとも至福な時間が得られないね。もうこんな仕事やってられるかと辞めたところで、そのほんの一瞬に開放感が訪れるけれども、それもはじめの数日間であって、その後はこれからどうしようという不安に押しつぶされそうになる。だから、特別なことはベースが大切だということに気づくことになるわけだ。

潮流

生命とは動的均衡の中にしかない。これは生物学的にも唱えられているところだ。仮にあなたがじっとして何もしないでいても、呼吸は規則正しく続けられるし、心臓も細胞のターンオーバーも寸分の違いもなく動作し続けているわけだ。じっとしているということは生命活動としてはあまり関係がないね。さらに地球上で暮らしているあらゆる生命は、ずっと生死を繰り返しているわけだし、この地球という大きな宇宙船でさえ、想像できないぐらいの速さで自転し続けているから昼夜が訪れるわけだ。その上太陽の周りを公転することで季節の変化すら起こっている。それに合わせてあらゆる生物は衣替えをしたり、色づいたりしている。あなたもその一部であり、それ以上の何者でもない。実は何もしないでいても視点を変えればずっと動き続けているとも言える。あなたはこれまでその動きを止めたことはないし、自らの意思で止められるようなものでもないということだ。

変化

そうやって目まぐるしくあなたは生まれ変わっているし、動き続けている。そしてその絶妙なバランスを保ち続けることで生きているわけだ。そのバランスがやがて崩れてしまうとき、あなたは自然に還るということになる。あなたを構成する原子や分子レベルにまで分解されてバラバラになって、また新たな生命に蘇るわけだ。物理学を引き合いに出すまでもなく、ミクロの世界ではまたそれらは激しく動き回り、他の原子との結合や分離を繰り返している。そうなったとしてもやはり存在することそのものが目まぐるしく動き回ることだとも言える。今のところ絶対零度になってようやく本当の意味での静寂が訪れるだろう。しかしながらそれは自然界の中での現象としては珍しい状態だろう。素粒子レベルまでミクロの世界で静寂がもしかしたらあるかもしれないというぐらい、あなたは動き続けている。それによって変化していくことは避けようにもないみたいだ。だから好きなように行動すればいいわけだよ。