明日のために
思案
いろいろと思案に明け暮れて毎日が過ぎていく。それはとても幸せなことだね。まだあなたには思案する余白があるからだ。それすらもままならないほど忙しくなると、あなたは眼の前のことに反応するだけの人となる。あれこれと思案する余裕すらなくなって、とにかく次々とやってくるよしなし事をぱっぱと片付けるだけで一日が終わってしまう。だから眠れない日なんてあり得ず、疲れてぐっすり眠る毎日となるわけだ。それもまた幸せなことだ。どちらのほうがどうとかではないけれども、おそらくは思案に明け暮れて過ごす方には、疲れてぐっすり眠ることがない分苦しみもまた増えてしまう傾向にはあるね。まるで幸せすぎて苦しいという皮肉な結果となるかもしれない。さて、あなたは今どちらかといえばどんな日々を送っているだろうか。
疲労
程よい疲労は、あなたを次に進めてくれる起爆剤であるとも言える。それはちょうどいいスパイスのように、行き過ぎては毒や害になってしまうね。だから疲れたら休めばいいだけのことなんだけれども、なぜかそんなシンプルなことさえできなくなってしまうわけだ。その原因が行き過ぎた責任感とか完璧主義だ。もちろんすぐにやってしまいたいという欲求は誰にでもあるし、日をまたいでまでそれをやりたいとは思えないようなことはすぐさま目の前から片付けたいだろう。ところが、そうするにはちょっと手強いと思ったならば、途中でも一旦手を止める勇気が必要となるわけだ。そうできない理由は、一旦手を付けたものはやってしまわないといけないという強迫観念的なものにとらわれているからだ。それは一体どこからきているのだろうね。
キレイ・サッパリ
その日のうちにキレイにしたい。サッパリしたいという一旦の区切りを明確にするという欲求は、次の日という未来を希望に満ちたもので迎えたいという願いからきている。それがあまりに行き過ぎるとかなり無理をしてしまうことで、実際のところそれを達成したとしてもせっかくの次の日が明るくはならないわけだ。考えても見れば次の日までに無理した分を回復できないのだから当然だね。すなわち、完璧主義とか責任感なんてものは、給料の前借りみたいなものでしかないわけだから、全く必要がないと言ってもいい。結果にこだわるのと、完璧主義は同根でとても似たような傾向を表している。結果とはあなたがそこがゴールだと設定したということだけを意味している。そこには次の日は含まれていないわけだね。だから、明日はどんな日になるのだろうとやりかけたことや読みかけの本を放り投げて眠りにつくのをおすすめするよ。