ぱっと広がる世界
広がる世界
目が悪くなって、初めて自分のメガネを作ってかけたとき、それまでぼんやりしていた景色がぱっと広がった気がして感動した。視力があまりよくなかった人にはそういう経験があるんじゃないかな。それとちょうど同じ頃に、自転車という乗り物から初めてエンジンで動くバイクを手に入れた時もちょうど同じように感動したね。そう、今まで遠くて手に届かなかった見知らぬ風景に出会うために、こがなくてもどんどん進むこの乗り物に、夢を手にした気になったんだ。ああ、これでどこでもいける力を得たんだな。そう思って毎日走り回っていた。まぁだからといってそれほど行くあてもないんだけれどね。半径5キロの冒険っていう感じかな。そうして、自由の翼を手にした青年は、そりゃもう夢中になって、どこへいくにもバイクという乗り物に乗って行動半径が広がった喜びを噛み締めていた。暑い日も寒い日も雨に打たれても、もう自分の範囲がどんどん広がっていくのが楽しくてしかたがなかった。
ちょうどいい
今になって思えば、全然遅かったし、止まらなかったし、いわゆる高性能なバイクではなかった。最新のバイクに憧れつつも、とうてい手にするだけのお金もなかった。手にした当時からすでに古くて、オンボロで、ちょっと走ればすぐにどこかおかしくなって、ちょくちょく修理しながら走るというとっても手間がかかる乗り物だったけれど、それでもそれ自体がすべて愛おしくて楽しんでいたね。もちろんいつかはかっこよくて高性能なバイクに乗りたいと思いつつも、十分にそれはそれで毎日が充実していたんだ。最初に手に入れたバイクがそんなもんだから、大きな事故も起こさずいまもこうして元気でいられるのかもしれないね。まぁそんな風にあまりにも古いから、次々に最新のバイクに乗り換える友達に自慢するわけにはいかなかったけれど、今となってはまさに自分にはちょうどよかったんだね。
手に入れたもの
ま、そういうバイクだから、そもそも誰かと張り合おうとかいう感情は起こらなかったし、それでも初めてスピード違反で白バイに捕まったり、踏切の途中でクラッチワイヤーが切れて動けなくなったり、多くのバイク乗りが経験するのと同じ、初めての体験を積み重ねていったわけ。いつまでこんなオンボロに乗り続けるのかとあれこれ言われつつも、その体験がどれだけ今までの人生を豊かにしてくれたかを考えると、今となってはその出会いがとても大切なものだったんだなとしみじみ思うよ。バイクというモノを手にしたんだけれど、それに乗ることによっていろんな知恵を授けてくれていたんだね。高性能で最新のバイクは手に入れられなかった。だからこそ、いつもバイク雑誌を見ながら、ああ、このバイクはとてもよく走るし壊れないし、かっこいいだろうなぁ、なんていつも夢見ている自分も同時にそこで生まれたんだ。
「だましだまし」という高性能
それからずいぶん年月がたって、新しいバイクにも、高性能なバイクにも乗る体験ができた。それはそれで出会いのたびに感動があるよ。とにかく壊れないし、よく走るし、よく止まる。すべてが高性能でしかも燃費がどんどんよくなっているね。だから行動半径はもう日本の端から端まで走ることができるようにまでなった。けれど、あの頃の半径5キロぐらいの小さな冒険のわくわく感には到底及ばない気がする。もちろん、思い出は美化されるからその分は補正しないといけないけれど。ぱっと世界が広がるっていう初めて感覚をたぶんいつも探しているんだけど、どちらかというと評論家みたいになってしまっている自分に気づく。もしかして嫌な大人になってしまったのかな。お金に見合った性能とかそういう視点でしか見られなくなったのかもしれない。あの頃に戻って、ちょうどいいという感覚を取り戻したいから、いまだにそれを探して走り回っているのかもしれないね。
変わらないこと
一昔前に比べると安全で高性能になったとしても、やっぱり油断したり気を抜くと、そもそもの危なさは変わらないよね。それは物理の法則だから地球上で住んでいる以上、誰もがそこからは逃れられないみたい。安全性能は向上しているんだけれどそこは気をつけないとね。もう速いがかっこいいという時代ではなくなっているね。どんどん物理的移動の必要性が少なくなってきているんだし。のんびりゆっくりを楽しむための高性能という時代だよ。さらには、若い頃から乗っているせいで腕に自信がある方々も多いと思うけど、かつての自分のスペックよりも今の自分の性能をきちんとチェックしないとね。それも現代のバイクはきちんと教えてくれるのがすごいとは思うよ。とにかくそれぞれがちょうどいいところを感じる力を磨いて楽しい時間を過ごせるといいな。わたしにとっての高性能はそこにあるのかもしれない。そう、いつまで経ってもへっぽこライダーでいたいんだよね。