心身一如
心身
心と身体はいつもバラバラと感じる。心では平静を保ちたいと思っていても、身体は意図せずに戦闘モードになったりするし、心が傷つく言葉を身体では表現してはいけないと必至にこらえたりしているからだ。内面と外面がバラバラだからこそ、あなたはとても苦しいわけだね。これを一致させると少しは楽になるから試してみてもいいだろう。喜怒哀楽を素直に表現することで、この世と一体化することができる。もちろん大人になればいろんな事情からそうもいかないことが多くなる。だから怒りを抑えて無理に作り笑いをしてみたり、本当は飛び上がるほど嬉しいことであっても平静を保とうとしたりする。あまりよくない例では嘘をつくとき、あなたはそれをさとられないように無表情に徹したりする。結局そんなことばかりをしていたら、心と身体がバラバラに引き裂かれてしまい、ついには限界に達するのはすぐにわかるだろう。
自然
あるがままにいようと言われたところで、もうそんなことを何年もやり続けているから、素直に表現することすら困難になっているね。だから多少の練習が必要となるわけだ。自然体にいるとか、今にあるとか、ありのままとか言われたところで、それを具体的にどうすればいいのかを忘れてしまっているので急にわがままになったり傍若無人になったりしてしまう。そしてそれで痛い思いをしてやっぱり演技しなければと元にもどるわけだ。自然体とはむしろその時々に応じた表情なり感情なりが自然と移り変わっていくことであって、すべてをコントロールしようとすることではない。例えばあなたにぶつかりそうになっている自動車が向かっているというのに、それは幻想だとか、ありのままだとか言っている場合ではないね。本能的に即座に避けることがありのままの行動で間違いないわけだ。要するに心と身体がバラバラのまま自然体であろうとしても不自然だということだね。
融合
だからもう一度あるがままだとか自然体ということを再定義する必要がある。あなたは心の中だけで平静を保ち平穏を望んでいる。けれども外界と通じる身体はいつも外敵と戦い続けてバランスをとっているわけだ。どちらが自然なのかは明らかで、身体の姿そのもの、すなわち外界と判断している部分が自然そのものだね。動的均衡を保ち続けるためには、細胞単位では生死を繰り返して常に最新へ更新されているわけだし、ウィルスや細菌に対しては捕食して殲滅させてはいないけれども害にならない程度にバランスを取っているわけだ。そうした活動はあなたの心は感じ取れない。けれどもそれによって心が活動することができているわけだ。心身ともに融合するとはそれをできるだけ感じ取るセンサーを働かせるということが基本となるわけだ。心だけで平穏を願ったところで何も変化しないのはそういうことだ。けれども一方で心穏やかにいられるのは身体が安定しているからこそでもあるわけだね。