放置プレイ
特性
あなたにも特性があって、すべてのことを上手にこなせるわけではない。もちろんそういうスーパーマンのような人も稀にはいるだろう。けれどもどちらかといえばこっちが得意だという面と、どちらかといえばこれは苦手かな、と思うことが誰にしもある。向き不向きとか得意不得意と呼ばれるそれらは、あなたの特性としてすでに備わっている。そしてあなたはどちらかといえば苦手な部分をなんとかしようと努力をしてきたかもしれない。そしてとりあえず苦手を克服さえすれば、あなたの理想の姿が完成すると思っている。ところが一向にそうはならないだろう。それどころかこれだけ頑張ってきたのにもかかわらず、相変わらずのできの悪さに辟易としている。もうそれにかかわらずに生きていけばいいと諦めたとき、不思議なことにそれはいつの間にか気にならなくなっていることが多いね。そう、あなたが苦手だと思っていたそれは実は自らあなたに課したものだったと気づいたからだ。
克服
なにかを克服したとき、いつも感じることはなーんだそうだったのか、という感想になる。複雑に入り組んだ問題だと思い込んでいたそれは、実はとてもシンプルだっただろう。あなたが見ているそれは、あなたがそう見ているからに過ぎず、違う誰かが見た時、何にそれほど悩んでいるのかと不思議がるのはそういうことだ。それを知ったあなたは見方や視座を変えてみることが大切だと知る。しかしそうは言ってもやっぱり、あなたはあなた固有の視点からしか見られない。絶対どこかにヒントがあると思って色々試行錯誤しているけれども、あなたが見るというそのものは、実はあなたがそうして生み出しているというジレンマがそこにあるからね。だから堂々巡りになって自己嫌悪に陥ることさえあるわけだ。そうではなく、先にも言ったそれを見つめることを一旦やめるということが一番の解法になったりするわけだ。
固執
なんとか克服しようともがき苦しむとき、その答えは決して見つからないのはそういう仕組みだ。だからそれを放っておくのが一番の解決法だし、それが究極の克服でもある。苦手なことから離れて好きなことや得意なことをやるうちに、その苦手意識もどこかへ消えていく。すなわち克服とは手放すということにほかならないわけだ。あれこれとやって偶然見つけた方法がたまたまうまくいくことも経験している。それもああ、もうだめだと思うところまで探索したあとに突然やってくるのも同じ原理だ。すなわちあれこれとやっているそのあれこれが尽きるから、えいやとなにかダメ元でやってみたことが克服につながったりする。いわば知恵の輪のようなものだね。こんなの絶対無理と最初は思っている。けれどもそれが解けた瞬間は、やっぱりそんなシンプルなことだったんだと驚くわけだね。驚きとは己の想定外からやってくるものだから、やっぱり一旦放り投げて違うことをやるのは道理が通っているわけだよ。