けりをつける

日々

最終回

なんでも初回があれば最終回がある。すべては永遠ではなく一旦の区切りや終わりがくるわけだ。だからあなたのその苦しみも悲しみも、逆に喜びも幸せも一旦どこかの段階で区切りが訪れる。ところがそうは言っても、次々と問題事がやってきて、ああようやく終わりになったと思った瞬間にまた新たなそれらがやってくる。すなわち区切りはあくまでも区切りであって、あなたが生きている以上は終わりなんてないと思っている。それもその通りで、生きて活動している以上、生きるということが終わらない限りにおいてはあなたにとってはそれらは永遠だとも言える。だからこそそれらとどう向き合うかということそのものが生きることに向かい合うということそのものだ。だから見方を変えれば一日一日が最終回と言ってもいいね。今日という一日が終わって明日への始まりとなるわけだけれども、今日という一日は唯一無二のものであり二度と全く同じ日は訪れることはないのだからね。

けりをつける

すべてはあなたがその区切りをつけるだけのことで、連綿と続く生命の時の流れがそこにあるだけなんだ。だからそれをどうつけるのかはあなたが自由に決めていいわけだ。どこを区切るか、どこを取り出すかはあなた次第なんだから、それがあなたにとって楽しいものにしていいね。ああ、もうここまでか、と決着をつけてもいいし、いやいやまだまだこれからだと挑戦してもいい。それをどうするかは誰にも決められるものではないし、あなたがそのすべてを司ることができる。そうなるとあなたはどこにけりをつけるかな。それを決められること自体が幸せのことだし、それがユニークなあなたが出現する原動力となる。迷ったらやるのか、迷ったらやめるのか、一区切りとして処理するのか、まだ序の口とチャレンジし続けるのか、そのすべてをあなたが今すぐに決められるし、あなたのために出現したそれらはその沙汰をずっと待っているわけだ。

本能

あなたはそれを理屈だけではなく、実は直感的に見抜く力が備わっている。だから直感を大切にすることが少し楽になるかもしれない。直感を再検討するために理屈を発動して考え始めた瞬間に得も知れぬ苦しみやモヤモヤが全身を駆け巡るのはそういうことだ。すなわちあなたの思考はあなたを中心に据えるわけではなく、誰かの顔色を基準としてしまうクセがあるからだね。そこに違和感がどうしても残ってしまうのは、あなた自身をなおざりにしてしまっているからに過ぎない。だからそれを決めるにあたってはあまり理屈をこねくり回すことはおすすめできない。なんとなくでもいいからここだと思った瞬間に、線を引けばいい。それに正解か不正解かを求め始めるから胸の奥につかえるなにかがどうしても離れないわけだ。そもそも正解も不正解も誰かに押し付けられたものでしかなく、それらは常識として洗脳されてしまっているけれども、その扉をまずは破壊することで新たな世界へ続くわけだからね。すべては命なりけり。