茶番
拡大
なんでも大きくすることがいいことだという時代があった。拡大再生産によって経済発展し、多くの人が豊かな生活を営むことができると信じられてこれまで来たわけだ。その結果もちろんそうなったわけだけれども、今度は別問題が出てきた。それはとても単純なことで、そうやって多くの人が暮らすにはこの地球は手狭だということだ。たくさんのモノを大量に生産して行き渡らせるともちろん便利な暮らしが広がるわけだけれども、その一方でそれらを生産する手段を消費することになる。あるいはそのためにエネルギーが莫大に消費されてしまう。その結果生態系に影響を及ぼしてしまうほど環境を変えてしまうわけだね。それを一般的には環境破壊などと呼ぶことでネガティブなイメージを拡散している。もちろん自然はそのまま残そうなんていうスローガンもよくよく考えてみると意味不明な言葉の遊びのようなものだけれども、おそらくはもとの自然の状態を維持しようという意図からそれを発しているのだろう。もとの自然なんていうものはおそらくは勝手な記憶や妄想の類だろうけれどもね。
欲望再生産
資本主義の世の中においては、なんとか人々の欲望を掻き立てないとビジネスが成立しない世界だ。仮に皆がもしこれで十分だと一斉に消費行動を打ち切ってしまったならすぐさま破綻するわけだからね。いつも何かが足りないとか、セール中には特に必要なくても、何かを買わなければならないという刺激を与え続けてようやく成立する。そういう意味ではとても貧弱であり、スレスレのところを生き残っているとも言える。それが原点であり、それを達するための世の中の仕組みが支えられている。お金がなければ購買活動ができないし、そのためには何らかの仕事につくことが必要となる。そのときは生産者となり、仕事を終えて家路に付けば消費者となる。いわばマッチポンプのような役割を誰もが担っているわけだ。店員として働き、何かを買うためのお金を得て、それを今度はお客さんとしてそのお金でモノを購入する。これは本当によくできたシステムで、その両輪を欲望が駆動している状態だ。そんなに欲はないとしても生きるために組み込まれているからね
民主主義
社会的に生産者として働き、消費者として購買するという仕組みについて、その最適化を担うのが政治家である。どこかの誰かが勝手に決めたいわば恣意的なルールをその時々において変更、調整することでより最適化を目指すシステムが今の民主主義だ、税金を上げたり下げたりするとか、物価をコントロールしたりとか、ルールがそぐわなくなった部分を改良したりとかする役割だね。ところがそれがいつの間にか、それすら欲望加速システムに組み込まれてしまっている。だから権威とか、政治と金という問題とすり替わってしまい、本来の人々の意見を集約してより暮らしやすいルールの制定という役割よりも、誰かがどれだけ得をするかというそれに変わってしまったわけだ。そうなることがもはや大前提で生み出されたものであると言ってもいいだろう。だから不思議なことに民主主義よりも資本主義の方が強力だということすら気がついていない人が多くいる。資本主義の支配者からすれば、まさにしてやったりということだろうね、