幸福システム

日々

自愛

誰かを幸せにすることで、あなたが幸せになれるわけだ。けれどもそれにはバランスが必要であって、誰かを幸せにすることばかりに注力してしまうと、ややもすればあなたが軽視されてしまう恐れがある。そうなってしまっては誰かを幸せにしてもあなたは幸せにはなれないようになる。だからどっちがどっちだと言うわけではなく、すべてのことに対して愛情を注ぐことが大切になるわけだ。だから、それほど急ぐほどでもないものだとか、これは真っ先にやるべき大切なものだとか、優先順位を考えるためにやむを得ずレッテルを張っている作業をことさら丁寧にやることが必要となる。もっと言えばそんなをしなくてもいいぐらいになればいいけれども、あまりにもやらなければならないことが目の前にあると、その順番は無視できないようになる。そこであなたはどうするかであなたの求める世界が一変してしまうわけだからね。

平等

そこであなたはその選択に苦しむことになる。あなたはいつもできれば偏りのない平等でいたいと思っているからだ。しかし実はあなたが思う平等はかなり解釈が違っている。真の平等とはランダムだということだね。たまたまあなたが目の前で見たなにかに対して手を差し伸べるだけだ。あなたの後ろにも同じような人がいるかもしれないけれども、それもたまたまそのときあなたには見えていなかったから何もできなかったわけだからね。そう言われるとあなたはかなりの違和感を感じるかもしれない。けれどもあなた一人ができることには限界があり、あなたが神のようにすべてを俯瞰して満遍なく手を差し伸べることは不可能だ。ましてやそれができなければあなたが幸せになれないのなら、ずっと苦しみの中でいることがそこで決定されてしまう。平等とか公平とかは、そこに実際の限界を含んだものであるわけだ。

博愛

だから多くを同時にやろうとすることは無駄なことどころか不幸の根本でもあるわけだ。最大多数の最大幸福を一手に担うのは現実離れしている。そこで仕組みを構築することで、あなたが孤軍奮闘しなくてもシステム的に処理するほうが圧倒的な処理能力を発揮するわけだ。ならあなたの博愛や平等は何も意味がないのかといえば、そうではないね。そういう視点を持つことによって、よりあなたが一つ一つのことを大切に見つめることができる。その結果できることはしっかりと手を抜かずにやるようになる。それが実は一番の効能だね。優先順位という言い訳を持ち出さなくも、あなたは余白をもって真摯に向かい合う時間をたっぷりと費やすことができるわけだからね。そうすることで、あなたはとても充足した時間を過ごすことになりその結果生きることに夢中になることができるわけだ。それが誰かの幸せを生み出し、あなたもその幸せの中に浸ることができるのだからね。