それがどうした
どうでもいい
気になることばかりで、毎日が覆われてしまっているのならば、どうでもいいと思うことが必要だね。気に病んで不幸だと思い込んでいるのなら、厄介事にとらわれてしまっている証拠でもある。もちろん思い通りにならないことばかりでうんざりしているだろうけれども、逆に言えば思い通りにしようとしていることが原因だと気づくべきだ。そうではなく、流れというか潮流に沿って生きていればそれもまた人生の冥利だと思えるだろう。そう何事もあなたの思惑どおりになんていくわけがなく、あなたの意思を超えたところにあなたの素晴らしき人生があるのだからね。それをしょうもないあなたの思惑にいくら合わせようとしたところで、そんな些細なことなど叶うわけがない。もっと大局を見られるのならばあなたの思いなんていうものはそもそも些末なことでしかない。それよりももっと高いところからの視点で俯瞰してみると、結局のところすべてうまく行っていると言わざるを得ないぐらい完璧なんだからね。
悩み事
あなたはついつい卑近なことばかりに気を取られて、それよりももっと大切な何かを見失いがちだ。あなたにとってはほんの少しだけ快適に過ごせる願いであってそれが叶うとほんの少しだけ幸せになれるかもしれない。けれどもそんな枝葉末節などどうでもいいぐらいすべては複雑に入り組んだ構造となっているにもかかわらず、少しももれなく幸せがすでにかなっている。それが証拠にあなたはそれをもて遊ぶぐらいには余白がすでにあるわけだ。だから些細なことに悩むことができるだけだし、あなたにとっては一大事だとしても人生に大きな影を落とすほどのことはないと言っていい。いやいやそんなことはなく、まさに生きるか死ぬかという瀬戸際に置かれていると言うかもしれないけれども、実際それは杞憂に過ぎず、どれだけあなたにとっては最悪なことであっても命を取られることまでは達していないから今があるのだからね。もちろん、それが今後どうなるかは誰にもわからない未知のことだけれども、その主導権は相変わらずあなたの手のひらにある。
目先
そうやって小さな窓から広大な景色を見ているようなものだ。その小さな窓からは大問題だと見えるそれも、その外側に出てみれば大したことではないことばかりだろう。もしかしたら会社をクビになるかもしれない。けれどもそれが決定的な最後になるとは限らない。もしかしたら世間から爪弾きにされるかもしれない。けれどもそうであってもあなたのことを愛してやまない人はいる。もしかしたら死んでしまうかもしれない。けれどもいずれ死を迎えない人は誰一人いない。もしかしたら、軽蔑されて誰にも相手にされないかもしれない。それでもあなたはあなた自身を生きながらえる術がなくなるわけではない。そうして考えてみればあなたはずっと愛されているし、大切な存在として今もこれからもそこにいるだろう。もちろんあなたの些細な思いは打ち砕かれてしまうだろうけれども、だからといってあなたという存在は確かにそこにいるからこそのことだ。だから心配するよりも安心したほうがもともとの幸せに気づくことができるというわけだ。