人生のルール

日々

数値

定量的に目標は決めないと結果が出たかどうかわかりにくい。だから数値目標はとても大切だと思われてきた。確かに数値はそれ自体事実を示すものだから、それがないと感覚となってそのときの感覚によって誤った判断をしてしまうことがあるだろう。例えば自動車を運転しているとき、時速60キロメートルの速さで進んでいると思っていても、スピードメーターのメモリを確認しないと、それ以上のスピードが出てしまうことがある。もちろんベテランで感覚値が優れている人はうまく調整できるだろう。けれども高速道路なんかで周りのスピードと合わせて走っているつもりが、少しばかり速かったり遅かったりすることを経験したことがあるね。感覚はそれ自体は極めて優れている能力の一つだけれども、その絶対値はある程度訓練しない限りピタリと正確には合わせることが難しい。なんとなく速いとか遅いという感覚はそういうものだね。

感情

さらにあなたはそういった状況において、感情そのものも移り変わっていくわけだ。ちょっと急ぎの用事があったり、イライラしていたり、穏やかだったりする。それらの感情もあなたの感覚値に影響を及ぼすわけだ。いつもならのんびりと流す道のりでも、ちょっと出遅れた朝だと気が急いていてついついアクセルを多めに踏んでいたりする。あるいは後ろのクルマに追い詰められているような気になって、ちょっと急がないといけないような気になったりもする。そうやってその場での感情があなたの感覚値を操作してしまうことは避けられないね。大舞台で緊張して何かを発表するときに、意図せず早口になったりするのもそうだ。普段の練習とそれは全く同じようにやっているつもりでも、実測値は大きく異なるのは絶対値を測るメーターがないとそのズレさえ気が付かないのだからね。だからプロンプトなどやタイマーなどの情報がそれを補正してくれるのに必須なわけだ。

審判

スポーツでも審判が必須なのもそのせいだ。スポーツはあるルールに従ってやるものであって、それが曖昧だと無法地帯になってしまうね。子どもたちが遊びの中でそれをどんどんそれぞれが勝手に解釈して感覚値でやってしまうと収集がつかなくなっている場面はあなたにも経験があるだろう。それぞれが思っている感覚値が実はバラバラだということを示しているわけだ。だからその遊びやゲームの中からではなく、外側から見る誰かが重要となるわけだ。冷静にルールだけに従ってジャッジすることでスポーツや遊びはようやく成立する。それでも微妙は判断に関してはこれまでは審判の経験値やそれによる感覚で決めざるを得なかった。しかしながら今ではビデオ判定ができるようになってさらに公平なジャッジが秒単位で可能となった。それもスポーツや遊びなどではそうだとしても、普段のあなたの人生においては定量的な判定は不可能だね。せいぜい年収とか地位とかそういう曖昧な感覚値のままだから、そこは気をつけないと誤った判断ばかりとなってしまうね。