期待はずれ

日々

期待値

あなたはいつも期待をしてしまうクセがある。誰かに任せる時、あなたは無意識に期待をかけているだろう。その期待は相手にとっては重荷になる。あなたは期待をするという前向きな良いことだと思い込んでいるけれども、かけられた当人からすれば重圧でしかない。すなわちその人の価値を詳らかにしてしまうわけだ。そして期待外れな結果が出た時、あなたはあからさまにがっかりした表情をしてしまうわけだ。そして期待をかけた人を結局のところ潰しかねないね。期待をかけられた人も思うようにいかなくなったら、あなたに対して恨みつらみが生まれてしまう。結局のところ誰かに期待するなんて言うこと自体が地獄であり、そんなことはできたら初めからやらないほうがいいわけだ。とはいえ、ビジネスや暮らしにおいて任せるという場面は避けられないわけだ。だから期待というよりも、むしろ信頼すればいいということだね。結果よりもそのプロセスやストーリーの中に本来の価値があるのだからね。

信頼

信じて任せるということが信頼だ。期待とどう違うのかというと、信頼は結果を問わない。逆に期待は成果だけを目論んでいるわけだから、どちらかというとその人そのもののプロセスなんかは二の次となるね。だから人に任せる仕事があるときは、ただただ信頼して任せるということが大切なんだ。そうは言っても成果主義の世の中において、プロセスよりも結果を重視する傾向にある。あなたも知らず知らずのうちにその結果を達成したいという願望によって任せているわけだ。この人ならやってくれるだろうとね。でもそれは大抵の場合はうまく行かない。仮に数回程度うまくいったとしても全てではないし、そうなったらどうなるかは明白で、もっと大きな成果を期待してしまうね。やがてそれがたまたまうまくいかずに不発に終わったとき、あなたはがっかりした顔をしてしまうわけだ。それがどれだけの本来有能な人を破壊してきたかを再考すれば、まさに悪魔の所業だと気づくだろう。

成果以上

そうして期待はずれになってしまった人は、次のビジネスを任せる対象からは外してしまうわけだ。もう二度とチャンスはないというのが慣習だからだね。それは期待という名の選別テストであって、そこに信頼はそもそもないことに気づくだろうか。任せる側も実のところうまくいくかどうかをドキドキしているのだからね。当てにしていた成果がでなかったとき、期待をかけられた彼らを消耗品のように打ち捨てることを正当化する理由にすり替えてしまう。そして即座に思いつくのはあなた自身を守る言い訳がそこに生まれるわけだ。そういった仕組みから、たとえある組織で評価されたとしてもそれは心から喜べるようなものではない。そんなものは一歩外に出ればクソみたいなものでしかない。本来のあなたがやるべきことは、信頼に対して真摯に向き合うことだけであって、成果なんていうものは状況次第で出たり出なかったりするようなものであり、あなたの姿勢とは全く無関係なものだ。期待に応えるのはやめて信頼と向き合うことであなたは成果以上のものを得ているんだよ。