見たい世界

日々

ひらめき

ふとした瞬間に、ぱっとなんの前触れもなく浮かぶ思いつきがある。あなたはそれを単なる気の迷いとして思考によって処理し始めるわけだけれども、そのひらめきは無意識化における処理の結果なんだね。だからファーストインプレッションでほぼ決まるというのはそういうことだ。瞬間的に心地よいとか悪いとかを感じることができる。理由はいつも後付けであって、その分析は的を射たものではないことが多いのもそのせいだ。無意識化の判断はあなたさえ覚えてないぐらいのこれまでのたくさんの経験に基づいた判断であり、現代でいうところのAIのアルゴリズムに似たものとも言える。当の本人も意外に感じるそれは、実は本能的な分析であり実はほとんどそれは正しいと言ってもいいね。ひらめきはそういう意味ではもう少し大切にしたほうがいいだろうし、その能力はあなたが思っているほど貧弱な空想でもない。

データベース

あなたのなにかのメディアから得た知識よりも、あなたが行動してどうなったのかという知見が元になったひらめきは、それ自体を分析して理由付けしようとしても陳腐なものへと変わってしまう。それよりも重視しがちなのは、書物や有名人の言葉でありまだ見ぬ体験の方を重視してしまうクセがある。だから単なるあなたの思いつきはいつも打ち捨てられてしまうわけだ。ところが、そうやって知識によって分析した未来予想図はいつまでたっても精度がいまいちだね。だから人生は思ったとおりにはならないものだと思い込んでしまうわけだ。そしてその状況を不幸だとかついてないとか呪い始めるわけだけれども、あなたの直感通りにまずは行動してみるという検証が多くなればなるほど、理由をこねくり回してやらない言い訳を生み出すよりも幸せを感じられるだろう。まるで何も気にしないでホイホイと動き始める人を羨ましく見えるのはそういうことだ。

杞憂

理屈で分析し始める時、リスクだとかうまくいかない確率を高めてしまう。失敗する前から失敗要因を見つけるための思考に成り下がっているからだ。特に近年ではネットワークが発達したおかげで他人の思考過程が可視化されている。きっとそれではやらかすだろうと思って見ていると、まさにその通りだというときにことさら批判して強調するきらいがあるね。あなたにとって知り合いでも身内でもない彼らのほころびを喜んで大騒ぎしている。そらみたことか、とまるで予言でも当たったかのようにね。しかしながら自分自身の予言はまるで当たらないということはおきざりにしたままにしている。あなたの予言の精度なんてまぐれ当たりにも届かないというのに、これは一体どういうことだろう。それはあなたが予感を無視している理由付けを探しているからそう見ているわけだ。あなたの世界はうまくいく予感なんていうのは外れなければならない。あなたは世界をそんなものだと見たいから、そう見えるだけのことだと気づくときすべてはひっくり返るわけだよ。