あなたの生き様
生きる
生きるということは、結果ではなくチャレンジすることである。そう言い切っていいのは、まさに生命とは躍動し続けているわけだからだ。あなたは常に一定で恒常性を保っているからそこにいる。ではその恒常性の本質とは小さな生死の繰り返しのバランスだね。いわゆるスクラップアンドビルドをやめることがない状態だ。それはミクロレベルで常に生まれ変わっているわけだし、それを止めると全体の死となる。少なくともそうやってでしかあなたという幻影はそこに浮かび上がることはできない。そんな本質にふれるとき、やってみたいと思いついたことをやらないとなると、生命はターンオーバーを止めてはいないけれども、幻影というあなたはすでにここにないということになる。だからどれだけ誰かに揶揄されようとも、うまくいかなくて悔しい思いをするにせよ、あなたが生き続けるには挑戦と失敗を繰り返すしかないということだ。
失わない
何かを失敗するとその代償を払わなくてならないと思い込んでいる。けれども一体何を失うというのだろう。あなたのちっぽけなプライドがずたずたに傷つくと思い込んでいる。そのプライドは果たしてまさに命がけで守らなければならないものだろうか。そしてそれは自己修復が不可能で、そうなった以上全体の死を迎えるだけのことだろうか。もちろんそういうケースもないとは言えない。けれどもきちんと仮説や想定がある程度あれば、意識的にも無意識的にもその最悪な状況を回避する能力はすでに持ち合わせている。だからこそこれまでいろんな試練を乗り越えて今があるという真実があなたを支えているわけだ。もちろんだからといって無鉄砲で無計画になんでもかんでも挑戦しろという意味ではない、それにそれを実行したところであなたの生は充足することはないだろう。そうではなくて、まさに生きている実感を得るための挑戦に関して、あなたはとても優れた千里眼を持ち合わせていることに気づくことができるかどうかだ。
選ばれし者
もしすべてが最悪だとすれば、その最悪な気分さえ味わうことなくこの世から消え去っているはずだ。でもあなたは今のところそうではない。だとしたら、さらなる挑戦の機会を得ているとも言える。もう状況なり、境遇なり、神さまなりにさらに挑戦していいよと言われているようなものだ。だからそこは安心してやりたいことをやり抜くことへの飽くなきチャレンジを許可されている。それを言い訳ばかりして、でも、だって、という思考に陥っているのは生に対する冒涜でもある。生きることはあなたの定義する失敗の連続だということ。そしてそれは選ばれし者しか見ることができない風景だということをもう一度確認することをおすすめする。あなたの成功なんてすべてが間違った定義によるものだから、たとえそうなったとしてもいずれは忘れてしまうような瑣末事の一つでしかない。誰かがすでに味わったそれをあなたが追体験したところで、そこにはあなたである必然はどこにもないのだからね。あなたしか感じ取れない何かを見つけたとき、それが真の生き様となるわけだ。