挑戦の本質
鼓舞
ちょっと自信がないときでも、あなたは自らを鼓舞して大きく見せようと頑張っているわけだ。内心ドキドキしていることを決して悟られないようにね。そして自ら背伸びをして大きく見せようとなんとか踏ん張っている。それを繰り返していくうちに、本当にその力を得る時が来るわけだ。だから背伸びすること自体はそれほど悪くはない。ちょっと大げさに振る舞うことで、あとからその実力がついてくる。あなたの力が伸びる瞬間はそんなものだ。できると信じて失敗を繰り返すことで、いずれ本当にできるようになる。自転車を漕げるようになったのもそうだし、逆上がりができるようになったのもそうだね。そしてできるようになったその瞬間に感じることはいつも同じだ。なんだそんなことか、とね。できないときはどうやったらそれができるようになるのかとんと検討もつかない状況だった。ところが出来るようになったら、まるで以前の混乱や悩みは一気に解消される体験を何度もしてきただろう。
諦めない
そう、何でもそうだけれども粘り強く何度も失敗を繰り返したとしても、そこでくじけず諦めないで継続するということがあなたの能力を開花させる唯一の方法だ。もちろんそれでもまだまだできないことが山積みになっているだろう。けれども、それらもすべてが叶うわけではないけれども、少しずつ雪解けのようにいずれ何かが少しずつ解消していくわけだ。まだまだそんなもんじゃないと思い続けるあなたには、可能性が同じく残されているままだとも言える。ところが、どうせ無理だとか、どうやってもできないと諦めてしまうとそのチャンスはゼロになる。もちろんそれによってあまりにも苦しいのなら一旦手放すこともバランスとしては大切なことだ。それにあなた自身も理解しているように、例えば今からオリンピック選手になろうとははなから頭には浮かばないだろう。できる可能性があるものだけに対してチャレンジし続けるのは、まさに今を生きることを体現しているわけだね。
粘り勝ち
それもなにかの義務感に駆られてやるのは苦痛でしかない。苦痛だから本腰を入れての挑戦はとても困難になってしまう。だから力及ばずでやっぱりうまくいかないことの繰り返しになる。それを無理というわけだ。そうではなく、好きでやりたいと純粋に思っていることであれば、誰かがたとえ止めたとしてもあなたは決して諦めずにやり続けるだろう。あるいはその方法も一つではなく、いろんな角度からアプローチすることを自然にやってのけているはずだ。それがたとえ一生のうちに間に合わなかったとしても、そのことで得られる体験こそがあなたが望んでいた生きることそのものであるわけだから、何も躊躇することなく楽しめばいい。本当に好きなこととはそういうことであり、誰かに批判されたらやる気が失せたというのはそもそもそうではなかったことだね。人のせいや状況のせいにし続けて今にあったとしても、そういう状態ではあなたはまっすぐに生きているとは言えない。一番の不快感や苦痛は実は成功しないということではなく、それなんだよ。