あなたに出来ること

日々

瑣末事

あなたの日常で起きる大事件は、ほとんどが生死に関わらない限り瑣末事だ。いやいやどれほど苦しんでいるのかあなたにはわからないだろうと反論するだろうけれども、それは事実だ。なぜならあなたはそこでそうやって文句と呪詛を吐きながらも生きているからだ。もうこの世の終わりだとなんども感じただろう。それはあなたの事実だ。そう、事実は相反する事象を同時に内包するわけだ。あなたの世界はそれで終末を迎えそうになっている一方で、この世の春を謳歌している人も同時にいる。それが今だね。だから終わりだと思ったらそうだし、始まりだと思ったらそうなんだ。この世をはかなんで絶望する人もいるし、なんて素敵な世界なんだと感動している人もいる。それを俯瞰してみること、すなわち今風で言えばメタ認知ができるかどうかが、あなたの事実を変更できる唯一の能力だ。そこから見える景色は視点の高さによってまるで別世界になるわけだね。

大切

しかしながら、あなたが辛くて病にかかったり、身体を壊すようなことがあれば別問題だ。そこまでして組織のため、友人のため、会社のため、もしくはあなたのプライドのために頑張る必要はどこにもないことに早く気がつくことができればいいね。そこでの評価や対面を気にしているのだろうけれども、そんなものはゲームセンターのメダルみたいなものでそこでしか通用しないものだ。それ以外の選択肢も山程あるし、たとえそこでダメになったとしてもそれだけで人生が終わりだというのは早計すぎるね。ちょっと絶望で前途が見えなくなってしまったとき、そんなときこそ、だから何?という問いを繰り返してみよう。友人関係が終わる、だから何?、会社を解雇される、だから何?、もうこの先少ししか生きられない、だから何?とね。そこでの最終回答は死んでしまうということに帰着するだろう。そう、だからすぐに死んでしまわないのならばまだまだチャンスは残されている余地があるということだ。

最期

そうやって死んでしまうということ以上に考えは及ばない。さらには死んでしまえばあなたの悩みや世界も消滅するだろう。だからといって自ら命を落とすことはない。どんなに楽しくてもどんなに苦しくてもどんなに切なくてもそれらはいっときのことでしかない。なぜならあなたは確実に最期が訪れることは他者の死から学んでいるからね。しかしながらあなたがどうしても体験できないことは生まれたことと死ぬことだ。これはどれだけ生きようとどれだけ研究しようとも知る由もないわけだ。となれば死ぬこと以外はかすり傷だという言葉もそれほど悪くないと思えるだろう。そう、生き抜いてやればいいだけのことだし、運が悪ければ死ぬだけのことなんだよ。しかもそれはあなたがどんなに切望しても体験できないことなんだから。なら今を楽しむ以外に生き抜くという方法は見つからないわけだよ。