好きなこと
記憶の欠片
あなたの人生には思い出がたくさんある。これまでいろんなことがあってそれこそ膨大な出来事を乗り越えてきたわけだ。けれどもそのすべてを思い出せるほどの記憶はない。どうしても思い出せないことのほうが多いかもしれない。その断片をつなぎ合わせて思い出としてあなたの人生を常に創造しているわけだ。だからその材料が変化するとともに、あなたの人生という幻影も少しずつ変化せざるを得ないわけだ。そうしたことに真実はどうであったかというよりも、今あなたがそれらをつなぎ合わせて構築することにすべてのあなたらしさが含まれている。数十年前のあなたと今のあなたが多少齟齬が生じたところで、その都度再編成をするわけだから避けようがないね。あのときどうしてそうしなかったのか、と後悔することもあるけれども、その時の文脈からすればあなたがそうしなかったことはおそらく正解だっただろう。後悔も自分らしさも今再編集してその都度生み出しているのだからね。
普遍性
ならずっと変わらないことなんてどこにもないということに気づくだろう。そう、あなたは自らがそうしたことすら覚えていないわけだ。そしてその過去の記憶に頼って今を判断しているわけだけれども、その依拠する過去も実は疑わしいぐらい変化している可能性があるわけだ。そうするとすべては今しかないということになる。記憶もどんどん曖昧になっていくのは避けられないし、いつまでも誰かを恨んだところで何も変化はしない。後悔もどんどん大きくなっていくかもしれなけれども、だからといって今が変わる要素にはなり得ない。もちろん二度と後悔はしないようにと今心に決めたとしても、明日になったらまた同じことを繰り返しているだろう。だからやっぱりあなたらしさとか後悔とか、そういうものを根拠にするのはドラスティックに人生を変える起爆剤とはならない。それどころか、また同じことをしてしまったという自責の念を生み出すネガティブな要因しかなかったりもするね。
不確実性
だから何かを変えたいと本気で思うなら、今ワクワクするかどうかの判断基準で十分だということだ。もっとシンプルに言えば、あなたの好き嫌いで決めたらいいということになる。あなたはそれをわがままだと今までは蔑んでみてきただろう。でも、逆に言えば本音のところはあなただってそうしたいのに、という意味合いが強いわけだね。わがまま気ままに生きられたらどんなに楽しいかという潜在的な知見からそう思うわけだ。なら、もう遠慮なくそうすればいい。もちろん社会的な責任とか立場とかがそれをあなたから奪い続けているのは事実だね。ならば、嫌なことを上手に避けられるようなスキルを磨いたほうが、結局のところ幸せになるわけだ。そのままストレートに嫌だ、といえば角が立つのは承知しているだろう。さらに言えばあなたが十分にそれらと向かい合ってきたこれまでの経験から、今まさにそれができる段階に来ているのではないかな。嫌なことは嫌だと言えるということは、逆に言えば好きなことを素直に好きと言うことでもあるのだからね。