信念という傘
受け取らない
誰かが何かをあなたに言う。あなたはそれを素直に受け止める。そしてそれを自分ごととして再考する。そうしてあなたはより良いあなたへとアップデートしようとしているわけだ。それ自体は自然なことで生きていくためには必要なことでもある。ところが誰かが悪意を持ってあなたに何かを言う。それは受け取らなくて良い。その判断基準はとてもシンプルなもので、今のあなたに必要か不要かだけでいい。お腹いっぱいなのに、もっと食べなさいと勧められたところでこれ以上は無理だね。それと同じくお断りすればいい。あなたが空腹であっても、おおよそ食べられないようなものは無理に食べないだろう。それと同じくそれは食べ物ではないといえばいい。結局のところ、あなたの心にとってワクワクするようなことだけを受け取って、それ以外は見送るのと同じことだね。なんでもかんでもすべてを受け取らねばならないと思うから、あなたはいっぱいいっぱいになっているだけのことだ。
善意
でもあなたのために良かれと思ってアドバイスをしてくれていると感じることもあるだろう。しかしその内容は煮ても焼いても食えないようなことばかりだったとき、その思いだけを受け取ればいいね。ありがとうという感謝の言葉は、その思いに対してであって、差し出された言葉のプレゼントは受取拒否してそのままその場所においておけばいい。思いと投げかけられた言葉は全くの別物として扱っても問題ない。あなたはそれ以上の言葉であなたの拠り所を十分に確保しているからだ。その隙間なく満ち溢れたあなたの中に、他人の言葉が入る余地は残されていないのだからね。もはやあなたの心の鞄の中には溢れんばかりの情熱と信念が詰まっているわけだから、無理にそこに付け加えようとすることは不要なわけだ。ただしちょっとしたスキマがあるから、せっかくなので受け取ろうとしたり、あなたの信念の何かを捨ててまで受け取ることはかえって不要なものを入れることになってうまくいかないのはそのせいだね。
評価基準
あなたに誰かが何かを言う。それがあなたにとっての評価基準だとすれば不安定なことは必然となる。なぜならあなたではない誰かを常に気にすることになり、そしてその評価基準はバラバラで曖昧だからだ。まるで天気のように急変するわけだから、そのせいであなたが目指すところへ行くのが難しくなってしまう。天気を自分ごとにようにする人はいない。むしろ悪天候であろうとも目的地に向かって進み続けることが重要だ。もちろん生命の危機を避けての上のことだけれどもね。雨が降っても風が吹いても少しずつあなたが行きたい方向へと進むことで、あなたはあなたであり続けることができる唯一の方法であり、それこそが生きる目的とも言える。だから、たとえ立ち止まっていたとしてもあなたの心は歩を進み続けているのと同じだ。けれども、誰かのなにかでそれを見失ったときは、あなたはその歩みを止めてしまうだろう。そんなときこそ、雑音を打ち消す手段が、あなたという確固たる信念なのだからね。