そのうちなんとかなる

日々

移動

場所を移動すれば新たな考えが思い浮かぶことがあるね。だからちょっと行き詰まったり、考えがまとまらないときは場所を変えてみるといい。オフィスでPCに向き合ってうんうん考えても何も思い浮かばないときは、ちょっと外のカフェで一息つくといいだろう。逆に出先のリモートオフィスで同じように煮詰まった場合は、一旦そこから出て移動中の電車内ではっとひらめいたりすることもある。なぜそうなるのかというと、単純な話視点が行動とともに移動するからだね。要するに思索にふけるときは、視点がある一点に集中することが多く、その狭い範囲の中から何かを生み出そうとするからいけないのであって、もう少し周辺や視野を大きくすることで新たな気づきが得られるというわけだ。要するに探求するとか考えるということにそもそも弱点があって、それはどうしても深く考えようとすると狭隘な視野に陥ってしまうことだ。無意識のうちに選択肢もかなり絞られてしまうから、実は堂々巡りに陥ってしまうわけだね。

柔軟さ

そこを打破するためには、もちろんもう思考の中ではどうしようもない。だから思考を一旦揺さぶるために強制的に肉体を使って物理的に環境を変えることがきっかけになる。だから実のところ熟考することはあまり良い結果が得られないわけだ。それよりも、ちょっと頭の片隅に放っておいて、それとは全く違うことをするということのほうが結果的にはひらめきにつながったりするわけだ。だから何でもかんでも腰を据えてじっくり考えるなんてことはやめたほうがいい。そんなことを続けていると、結局のところとても視野が狭くなり、思い込みが強くなり、その結果とんでもない結論を信じ込んでしまうことになるわけだからね。真面目なあなたにアドバイスとしては、重要なことほどいい加減に扱うのが一番だということだ。もちろんそんなことしてはいけないと思っているからそう言っているわけで、あなたがもともと不真面目ならばアドバイスは全く逆になるのもそういうことだ。

強かさ

ようするに視点変更を容易くできる人ほど、悩みが少なくなるわけだ。しかもそのおかげで広い視野角を維持できることで見通しも立つ。そうして物事を認識することができればある程度のリスク予知も簡単になるし、何が必要なのかを整理することができるわけだ。それは真摯に物事を捉えすぎないということが鍵となる。だからなんでも執着を手放しなさいとか、ほうっておきなさいとか、気にしないとかという表現でアドバイスされるわけだ。こだわりはときに深く思考するという部分においては固定観念となり邪魔者となるから注意したほうがいいね。むしろあまり興味のないことの決断のほうが、いとも容易いのはそのせいだ。そしてその結果、大きな問題となることはほとんどないということも体験しているだろう。これだけはちょっと慎重に考えたほうがいいなんて思ってしまうと、大抵の場合はその判断を誤ることが多いのは、そういう構造によるわけだ。適当に生きるというのは、そういうことをわかりやすく伝えようとしている言葉なんだよ。