頭でっかち

日々

知識と知恵

学び続けることは大切なことだと良く言われるね。そうは言っても毎日が忙しくて本を読む気にもならないだろう。それはどういうことかというと、知識がいくら増えたとしても実践には使えないことばかりだからだと思っているからだね。さらには、他人の悪口とかは興味があっても、小難しい本を読み、文章をなぞっていくのは結構骨が折れる作業だからだ。哲学書や経済書に向かうと専門用語のオンパレードで改めてそれはどんな定義だったのかを思い出して整理しないと読み進めることも難しい。だからあなたの頭脳はオーバーヒートしてすぐに眠くなってしまうね。あとは長い文章を読み解く力というのはどんどん失われている。それが証拠にSNSはわざわざ短い文章で辛辣でうまいこと批判するものにいいねがたくさんつく時代だ。おそらく3行以上の文章を読んでその向こう側の文脈まで読み取れる人はほんのわずかな人しかいないのだろう。揚げ足を取るばかりで、そもそも議論にすらなっていないスレッドがすぐに見つかるのがその証拠だね。

知見と見識

知っていることはおそらく格段に増えているだろう。しかしそれによる行動は全く以前のままアップデートできていないだろう。知識は学校やハウツー本から学ぶことができる。いや現代ではおそらく動画配信サイトやSNSのそれで学ぶことが多いね。しかもそれを早送りでざっと見るだけでおおよそのことを見つめることができるわけだ。ところがそのままでは単に見たことがあるという体験だけが積み重なっているだけだ。今度はそれを実際にあなたがそのまま真似をしてやってみることで知見となる。ありていの言葉で言えば身につくわけだね。おそらくは思っていたのとは違うなにかがそこにあり、それを知ることで実は対処する方法を増やすこととなる。そしてそれらの経験を積むことで、今度は動画を見ただけでどこに問題が隠れているかすらも見抜くことができるようになる。それを見識と呼ぶわけだね。知識を行動によって知見や見識に変えないと、実際につかえるものにはならないわけだ。

勇気と決断

さらに、物事を起こすとき、あなたはそれらの見識を元に段取りを立て、未踏の地に踏み入れるが如く場合によっては筋書きも対策もないまま実行せざるを得ない状況に必ず直面することになるわけだ。そのときはまるで知識も知見も見識すら当てにはならないね。それでも前に進むためには勇気と決断が必要となるわけだ。それもやたらめったらに使ってしまうと、あなたが傷つき疲弊してしまうだけの結果となる。だから慎重かつ大胆に決断をしなければならないわけだけれども、それがある程度のリスクヘッジをしつつできる基礎としての知見や見識がそこにあるわけだ。それは残念ながら知識だけだとほとんど可能性はないだろう。もちろん断定はできない。なにもないのに飛び込めと言われて飛び込める勇気がそれを解決する場合もある。けれども、危なすぎる賭けに出るにしても、ある程度のガイドラインと緊急避難の用意はしておいたほうがいいだろう。何よりもそのときの精神状態が不安定ではうまくいく確率も大きく下がってしまうだろうからね。