切り分け

日々

問題

問題には大きく分けて二つある。一つはあなたのこと。もう一つは相手のことだ。相手の問題にどれだけ深く関わろうとしても、あなたができることはあまりに少ない。したがって難問となるわけだ。自分ごとであればとてもシンプルであなたが変わるだけで大きく様相が変化する。ところが相手の問題をどうにかしようとしても所詮それはあなたができる範囲のことでしかないから、どうやってもすぐに限界がくる。だからとても悩ましい問題となって残り続けてしまうわけだ。さて、解決にとても手こずっていて、あなたがそれによってずっと振り回されている問題の多くは、実はあなたの問題ではないことがほとんどだね。いつもあなたを攻撃する人と仲良くなるにはどうする、とか、あなたの思いを勝手に誤解してどんどん離れていく人とうまくやっていくにはどうする、とか、数え上げたらきりがない。そしてそれらはあなたが誠心誠意うまくやろうとすればするほど、実際はどうにもならないまま、むしろ悪化していってずっと悩まされているのではないかな。

放置

だからそういう問題はあなたがどうこうしようとしてはいけないわけだ。相手の問題に同情心や嫉妬心や下心によって深入りしたとしても、それはあなたの問題ではないから実際のところどうしようもない。そこを切り分けるために、相手の問題だとわかった時点で、潔く切り離すことが大切だね。こう言うとなんだかとても冷徹な人のように思われるかもしれない。けれども、あなたの最大の暖かさで包みこんであげたとしても、それに呼応するかどうかはあなたにはコントロールすることなんてそもそも不可能だ。それでも同じ赤い血が流れている同胞だと思って、あれやこれやとやってあげるのは自由だけれども、誠心誠意を尽くしたのならばそれで十分だね。それで状況が変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。それでも注意しなければならないのは、変わったとしてもそれはあなたのせいではないということだ。たまたまかもしれないし、偶然かもしれないだけであって、あなたの及ぶ力はそれほど大きくはない。

あなた自身

だから、あなた自身がそれによって何かを学ぶことができればそれで完結していいわけだ。相手の問題には相手のやり方で取り組んでもらえばそれでいいわけだし、その指摘だけすればもう残されたタスクは存在しないね。良く言われる例え話のように、のどが渇いているという誰かに対しては、水飲み場までの道案内はできるね。だから知っているのならば教えてあげたら良いわけだ。でもその当人が本当にそこへ向かうかどうかはあなたの問題ではない。ありがとうと礼を言ってそこへ向かうかもしれないし、その道順を誰かに売りつけるかもしれない。それはあなたのせいではなく、相手の問題だ。だからいずれにせよその結果どうなったかまではあなたが自分ごととして悩む必要などないわけだ。そんなことよりもあなた自身が大切にしたいものに注目しておけばいいし、そのエネルギーをわざわざどうしようもない誰かに向ける必要などないね。