時間感覚

日々

もう秋

気がつけばもう9月になろうとしている。秋分の日を迎えると一気に季節が冬へシフトしていくだろう。いやいや、毎日酷暑の日々を過ごしていると、この暑さが和らぐなんて嘘っぽく感じるだろう。けれどもこれまで冬が来なかった年はなかったわけだ。雪が降らない年末年始となればそれこそ地球の気候変動に驚くだろうけれども、まだそこまでの変化はないみたいだね。もちろん将来的にはどうなるかは誰にも予測は不能だけれども、今のところの経験でいうと、都市部では最高気温の持続が長くなってはいるようだ。けれども、それによってこの国が南国化するというところまでは近々ではまだみたいだね。そういえば去年も9月に入ってからも暑いねぇと会話していたように思えるし、その数年前も同じ会話を誰かとしていたことを思い出したりもする。人の記憶はとても曖昧でなんとなくのイメージしかないのと、テレビやネットのニュースによってそのバイアスが大きくかかっているようにも感じるね。

まだ秋

とはいえ、来年まではまだ3ヶ月も残されていると感じる人もいるだろう。そう、あなたが今をどう捉えるかで早いものでもう9月と感じるのか、それともまだ9月だと思うのかで大きく見ている世界が変わるわけだ。そのことによってわかることは、時間とは絶対的ななにかではなく、あくまでもあなたの中で流れていると錯覚しているだけのことだね。もちろん1秒の長さは国際規格によって決められていて、世界中の社会生活を営むうえでの基準になってはいる。けれども実際にそれを厳守している社会とそうでないところがあるのも事実だね。デジタルウォッチの数値は一定に刻まれているとしても、それぞれの社会的な時間や体内時計は独自の時計を刻んでいる。そしてそれがたいした問題にもならずに過ごせているのは、一つのものさしを使うことで共通化できるという利点があるものの、それに縛られて生きるかどうかはそれぞれの選択に委ねられているということだ。

鼓動

あなたはあなたの時間を生きている。そしてそれは絶妙に社会的な時間とできるだけ合致するようにチューニングしているわけだ。ということは逆に言えば、チューニングしないとズレていくわけだね。そこに無理が生じている。あなたの時間はおそらくは日が昇って自然に目覚め、日が沈めば眠くなるだけのシンプルなものだった。けれども現代社会においては、特に文明化が進んだ都市においては眠らない街ができている。それ故、睡眠という動物的本能を削ってまでも社会的活動に当てて昼夜逆転するような役割が必須となったわけだ。もちろん今後はそういう不自然な部分には自動化や機械化が進んでいくだろうけれども、それでも夜が遅い仕事は残るだろう。そこまでしても便利さが優先される時代に生きているから、もうこんな時間と感じる人と、まだこんな時間と感じる人のばらつきが大きくなっていくわけだね。それだけ無意識的に時間というルールに縛られて生きていかざるを得ない社会であることには間違いないわけだ。