緑色のランドセル

日々

誰かが決めた「らしさ」

一昔前、昭和の時代はなぜかランドセルの色は、男の子は黒、女の子は赤と決まっていた。今みたいにカラフルな選択肢はなく、当時はそれしか選択肢はなかった。今は色とりどりのラインナップがどんどん増えているみたいね。今となっては、その当時に押し付けられた「らしさ」にまったく気づくこともなく、自然とそういうものだと植え付けられていたね。本当は赤色が好きな男の子もいただろうにね。そもそも色で性別をわかりやすく区別するって誰が決めたのだろうね。どうして赤と黒の2択になったのかなんて、その理由を聞いても誰も答えられない。そのことが当たり前だと思っていて、こどもの頃になんの疑問も持たなかったことを不思議に思うと同時に、知らず知らずに思い込んでいる事が他にも沢山あることに驚いているぐらいだよ。女は赤、男は黒というのは世界標準なのかな。

理想の美

美しさも時代によって変化するけれど、今のCMや広告をみてるとどれもこれも相変わらず画一的なことのように感じる。美容や健康に関する薬や食品の広告なんて、昭和の時代からあまり変わってないような気がする。若い頃のニキビ面は恥ずかしい。二重でないと可愛くない。鼻の形が気になる。小顔がいい。身体の中でも特に人は「顔」が大事だと思っているね。芸能人は「歯」が命なんていうCMもあった。今はあまり言わないのかな。それとも常識になっているのかな。あと、背が伸びるグッズとか漫画雑誌の広告によく見かけたよ。みんな長身に憧れていた時代もあったんだね。一昔前は「3高」とか言って、身長、年収、学歴が高い男が価値が高いとか。時代が進んで、今なら声高に言うと差別発言とかになるのかな。今はどうなんだろう。体型は細マッチョがいいとか、男でも無駄毛は処理してすべすべお肌の方がいいとか。女性はくびれがあってグラマラスな方がいいとか、手足はシャープな細さがある方がいいとか。色の白いのは七難隠すとか、どれもこれもどうしてそう思うの?って聞いても、明確な理由なんて誰も答えられないよね。知らない誰かがそれがいいって教えているからなのかな。で、そういうお手本となる人物は、その当時の人気有名人の中に必ずいる。なんだか集団催眠の群れの中にみんなどっぷり入り込んでいたような気がするね。

そうじゃないとダメ

かっこいいとかキレイとか、そういう好みなんて誰かに決められるものではなく、それぞれがいいなと感じるもの。なぜか社会がこれがいいという見本を見せて、それを無条件に信じる人が多いね。もちろん、そこに違和感を持っていた人も確実にいたんだろうけれど、そんな雰囲気では、なかなか言い出せなくてとても悩んでいたんだろうね。今では人生100年の時代、みんな長生きするようになってめでたいことだと言う。さらに長生きするだけでは物足りず、いつまでも健康で若々しく元気でないとダメと喧伝してるね。歳だからと言い訳なんてしてはダメ。それでもみんなが目指すべき美を求めてキレイになる努力を怠ってはダメ。あれはダメ、これもダメ。とにかく努力あるのみ。これを試して、あれを使ってと毎日囁いているね。何はともあれ、諦めないで若々しく美しく健康に生きることが一番大事なのよと捲し立てている。そのためには多少の犠牲を払ったとしても、それが少しでも幸せに生きる道なんだと思ってるよね。はてさて、あなたもマジでそう思う?

いまだに制服とランドセル

閑話休題。ランドセルは性別に関係なく、色とりどりになって選ぶ楽しみがようやく増えたね。かつては強制的に決まっていた色から、ようやく色ぐらいは自由に選べるようになった。少しずつ何かに気づいたんだろうね。制服も男女兼用のものができて、一部の学校では、これもやっと認められつつあるみたい。性別に関係なくスカートでもパンツでも良くなった学校もある。そもそも、制服もランドセルも、いまだになんでそれを使い続けい続けているのかな。鞄なんてもっと便利なものはたくさんあるのにね。重たい教科書を毎日持ち運ぶために、ランドセルは安全面でも、幼く小さな体でも負担なく持ち運べるようにどんどん進化しているんだけど、本当に改善すべきポイントはそこしかないのかな。そろそろ明治時代に学校制度が始まった時のままじゃなくて、もっと根本から変われないのはどうしてかな。古き時代を懐かしむ気持ちは、わたしも同じ世代だからわからないでもない。それにずっと続いていることにはある程度の妥当性もあることも理解できるよ。でも時代は変わり続けているよね。向こう100年をこれから生きる、新しい時代を作り出す子供たちにまだそれを押し付けるのはどうなの?