夢を照らす希望
希望は光
希望はどっちかというと前向きな欲望だね。一方で絶望というのは後ろ向きな欲望とでもいうのだろうか。希望は今すぐという意味合いでは使われず、いつかきっと、近い将来という意味合いで使われることが多く、絶望は今の今として表現されることが多い。なぜか良いことは今ではなく近い将来であって、悪いことは今の今という構造になっているね。そこに含まれているニュアンスは、人生はそれほど良いことなんてすぐさま叶うわけがなく、それなりの苦労と努力の向こう側にしかないとうことだ。一方で絶望はなんなら今すぐでも起きうる事象であり、その先に希望を見つけるかどうかはあなた次第だということになっている。絶望が闇だとして、そのわずかな希望という光を見つけられるかどうかはそのときになってみないとわからないね。
夢は設計図
夢は希望とどう違うのか。夢は叶えたい具体的ななにかであり、希望はとにかく明るい日々を指すみたいだね。希望はとにかく暗闇から脱出することであり、前向きに過ごすこと、あるいは喜びを持って進むことを意味する。その上で具体的になにかになりたいとか、実現したいテーマがあるときに夢と呼ぶことが多いわけだ。有名人になってチヤホヤされたいとか、お金持ちになって好きなものを買いたいとかそういうことが可能になる状態をもって、夢が叶ったと言うわけだ。希望もそれに近いし人によってはそれと同じようなものだと分類しているだろう。希望の仕事に就くとか、希望の人と付き合うとか、そういう意味で言うと差異はないだろう。ところが希望は必ずそのあとに具体的な言葉が必要な場合が多いから、あなたの願っている状態そのものを表しているとも言えるね。おそらくその状態のあなたは輝いて見えることから、希望とは光そのものだと言えるかもしれない。
道標を照らす
そうしていつかきっとそうなる日を信じて、あなたは日々過ごしている。希望はずっと待っていればいずれ受け入れられてその通りになるものではないだろう。それは現状を照らす光であり、おそらくあなたの心向きそのものを指しているものだからだ。だから希望に対してあなたが直接それをどうこうすることは少ないかもしれない。ところが夢はそうではないことが多いね。夢はその希望をより具体的なものへと変化させたものであるから、例えば画家になりたいのなら、まずは何をしなければならないのかという具体的なアクションが求められることが多い。人によってはたくさん描いてみることが必要であったり、誰かに習ったほうがよかったり、そもそも何をどう描くのかを決めなければならなかったりするだろう、夢とはそうやって一歩ずつ近づいていかなければたどり着けないわけだけれども、その過程において絶望を幾度と経験することになるだろう。だから、そこから脱してまた挑戦するために、希望という光を携えていかなければならないわけだね。